高杉銀平師
池波さんは、長谷川銕三郎(てつさぶろう)宣以(のぶための)の高杉道場への入門を、19歳としている。
これは、史実的には、ちょっと無理がありそう。
というのは、銕三郎の19歳というと、明和元年(1764)で、2008年3月2日[南本所・三ッ目へ] (9)に掲出したように、この年の10月に、父・宣雄(のぶお)は懸案の三之橋通りの1238坪の土地を築地・鉄砲洲の屋敷と三角交換によって手に入れた。
家屋は、鉄砲洲の家を解体して移したしとしても、竣工は翌年の初春とみる。
【参照】2008年2月23日~[南本所・三ッ目へ] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
年が明けると、銕三郎は20歳になっている。
敷地がきまり、移転を見越して道場を変えるという考え方もできなくはないが、やはり、常識的には、転宅後に師を変えるとみるのがふつうではなかろうか。
ま、高杉道場への入門が、19歳であろうと20歳であろうと、読み手にすれば、大差はない。
気にかかるのは、高杉銀平師を、どういう経緯で選んだかである。
高杉道場は、一刀流である。
鉄砲洲時代も一刀流の道場で学んでいたと考えると、その道場主が高杉師を推薦したともいえる。
もうすこしドラマチックに想像して、そうとうの識者が高杉銀平を紹介したという見方もできる。
その識者とは---小野派一刀流の継承者・小野次郎右衛門忠喜(ただよし)である。
助九郎忠喜は、父・忠方(ただかた)の死によって、寛延2年(1749)に家督を相続している。18歳であった。
家禄は800石。うち、先々代からの知行地は、上総(かずさ)国武射郡(むしゃこおり)本須賀村の250石と、同国山辺郡(やまのべこおり)松之郷村の441余石。
察しのいい鬼平ファンなら、長谷川家の知行地のある郡といっしょ---とおもわれよう。
そのとおり。2村からの米の積み出しは、長谷川家もそうしていた九十九里浜の片貝(現・千葉県山武郡九十九里町片貝)の湊を使ったろう。そういう知り合いであったと想像する。
次郎右衛門を襲名した忠喜の出仕は、宝暦9年(1759)に小姓組番士として28歳の時。おそくなったのは、健康に問題があったから、としかおもえない。
その後は快癒したらしく、順調に推移している。
一刀流ということで、宣雄は、浜町蛎殻(かきがら)町の小野邸を訪れ、高杉銀平の名を教えられたのであろう。
宣雄のことだから、剣技もさることながら、人柄をとくに重んじて質したとおもう。
高杉道場は、文庫巻1の連載第2話[本所・桜屋敷]から、はやばやと登場している。
法恩寺の左側は、横川に沿った出村(でむら)町であるが、このあたりは町といっても藁(わら)ぶき屋根の民家が多く、本所が下総(しもうさ)国・葛飾(かつしか)郡であったころのおもかげを色濃くとどめている。
その一角へ、長谷川平蔵は歩み入った。
ひなびた茶店の裏道が、横川べりまでつづき、その川べりの右側に朽(く)ち果てかけた藁屋根の小さな門がある。門内の庭もも、かたく戸を閉ざしたままの母屋(おもや)にも荒廃が歴然としていた。人も住んではいないらしい。
平蔵の唇(くち)から、ふかいためいきがもれた。
この百姓家を改造した道場で、若き日の平蔵は剣術をまなんだものだ。
師匠は一刀流の高杉銀平といい、十九歳の平蔵が入門したころ、すでに五十をこえていたが、この人が亡くなったことを平蔵は京都で耳にしている。
同門の岸井左馬之助(さまのすけ)が知らせてくれたからだ。
p52 新装版p55
元の高杉道場だった農家は、主を失って15年ほど経っている。
(法恩寺 左下=出村町 『江戸名所図会』塗り絵師:ちゅうすけ)
(上絵の部分 出村町)
文庫巻6[剣客]には、高杉師の没年は67歳とある。
遺骨は、岸井左馬之助によって、佐倉在臼井の寺に葬られた。
銕三郎が父・宣雄に随伴して京都の西奉行所の役宅に滞留していたのは、史実では、安永元年(1772)10月から翌年夏までのわずかに8ヶ月とちょっとであった。
父の没後、平蔵を襲名した銕三郎が27~8歳のあいだのことである。
それはそれとして、銕三郎は27歳まで江戸の南本所・三之橋通りの屋敷におり、23歳で将軍・家治にお見得(めみえ)したわけだが、何歳まで高杉道場に通ったか、池波さんは明らかにしていない。
もちろん、そんな史料があるわけもない。
ついでながら。
ずいぶんと先のことだが、長谷川平蔵宣以が天明6年(1786)年7月26日、41歳で先手・弓の2番手の組頭に抜擢された時、鉄砲(つつ)の17番手の組頭に小野次郎右衛門忠喜がいた。3年前に51歳でその任に就き、66歳までの足かけ16年つづけた。
ちなみに、平蔵より13歳年長であった。
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