ちゅうすけのひとり言(12)
2008年3月14日分の[ちゅうすけのひとり言](10)は、先手組頭に登用された父・平蔵宣雄(のぶお)の同僚・古郡(ふるこおり)孫大夫年庸(としつね)の『寛政重修諸家譜』の記述の中から、
(享保)十五年(1730)十二月三日父年明(としあきら)致仕するのときにおさめられし新墾田十が一現米三百ニ十石余の地を年庸にたまひ、永く所務すべきむねおほせを蒙る。
を引用した。
代官が新田を開墾すると、その10分の1を与えられるという制度があったことを、初めて知ったと書いて、無知を告白したわけである。
静岡の〔鬼平クラス〕---SBS学苑パルシェ(JR静岡駅ビル7階で毎月第1日曜日午後1時から)で、ともに学んでいる安池欣一さんも、このコンテンツが頭のどこかにひっかかっていたらしい。
『近世農政史料集 1 江戸幕府法令 上』(児玉幸多・大石慎三郎編 吉川弘文館 1966.9.10)から、以下をコピーした史料に添えて、古郡家の記述にも関係がありそう---と手紙をくださった。
史料は、『徳川禁令考』の2123(享和8年 (1723) 11月 )で、現代文に直すと、概要、次のようなものである。
「新田開発をした代官へ、新墾の内の10分の1を下される件について、勘定奉行へ申し上げる書付」
新田を開発した代官は、新墾の内の10分の1を下されると伺ったところ、先だって申しわたされたのは、それは当人一代にかぎって---ということであったが、小宮山杢之進支配の小金佐倉新田の内、当年からある程度収穫ができるようになってきたので、この出来高のうちの公納分の10分の1を、まず当年分としてくだされるへきだと存ずる---うんぬん(以下略)。
(注)代官見立新田による年貢10分の1を支給されたのは、この小宮山杢之進が最初である。
安池さんから送られた史料を手にして、ぼくは、自分の怠慢を責めた。
というのは、引用された『徳川禁令考 前集4』(創文社 1959.5.25)はもちろん、前集6冊、後集4冊を所有していたのに、購入後約50年間、書棚に飾ったまま、ほとんど目を通していなかったからである。
購入した30歳当時は、読破するつもりがあった。ところが、その後、興味の対象がニューヨークのある一派を代表する広告代理店研究へ向かい、その後、池波さんが鬼平像のモデルの一つにしたメグレ警視の生地や住まいの探索、さらには英王室御用達の制度へ移っていった。
関心が江戸時代へ戻ったのは、『鬼平犯科帳』を手にしてからである。
まあ、大きく遠回りをしたとはいえ、『徳川禁令考』全10冊がこうして、曲がりなりにも役に立つことができるようになったのは、『鬼平犯科帳』のお蔭といえる。感謝しなければ。もちろん、安池さんにも---。
代官への「10分の1」下賜は、『徳川禁令考』を読むかぎり、当人1代かぎり---のにように解される。
3月14日に引いた古郡家の場合は、父が新開指導したものを子・孫大夫が請願している。
これは特例であったらしいということも、改めて、安池さんが発見された史料から気がついた。
このところ、佐倉在生まれの〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)にライトを当ててきた。
小金佐倉新田を『旧高旧領取調帳 関東編』(近藤出版社 1969.9.1)で探したら、下総(しもうさ)国葛飾郡向小金新田の137余石があった。印旛沼・佐倉からはかなり離れていた。
新田開発者へ10分の1を与えるというインセンティブ(動機づけ)について、思い当たったことがある。
新墾指揮は平蔵宣雄だったと推定しているのだが、長谷川家が知行地の上総(かずさ)・武射郡寺崎の220石を、新墾によってさらに100石ばかり増やした時、開墾に従事した知行地の農家たちへいくばくかの地を与えたという記録がのこっている。
その土地は、開墾した10分の1に相当するものであったかも知れない。
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コメント
パルジェの安池欣一様のご調査で50年もの長い間書棚に眠らされていた「徳川禁令考」が陽の目を見ることができてよかったですね。
「Who's Who」200,000アクセスおめでとうございます。
なんとラッキーなことでしょう、習慣になっている出勤前に「Who's Who】を開きましたら
7時15分200000をカウントしていました。
開設以来毎日楽しみに拝見しております。
これからも長谷川平蔵を通して質の高い江戸史を期待しております。
投稿: みやこのお豊 | 2008.05.09 07:45
既に30歳のときに、『徳川禁令考』全10冊を読破しようとされたとは!驚きました。私などは、先生のご指摘があって、つられて関係のありそうなところばかりを拾い読みする程度で、その場限りです。でも、今回こんな書物があることを勉強できました。有難うございます。
投稿: 安池欣一 | 2008.05.09 10:20
>みやこのお豊さん
200,000ゲット、おめでとうございます。ゲットって、ほとんど幸運ですから。きっといいことがあるでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2008.05.09 12:27
>安池欣一さん
30歳のときから『徳川禁令考』を読破していたら、もっとましな研究家になれたか、史料ちがいの小説を皮肉っていたか。
いま程でちょうどいいのかもしれませんね。
投稿: ちゅうすけ | 2008.05.09 12:30