ちゅうすけのひとり言(88)
「お頭(かしら)が火盗改メを拝命してみろ。われわれは三ッ目通り菊川町まで、毎日、3里(12km)の道を往還することになるんだぞ」
「桑原、くわばら」
長谷川平蔵(へいぞう 41歳)を先手・弓の2の組の頭に迎えた同心衆が、陰で愚痴とも軽口ともつかない悲鳴を洩らしていることを、平蔵はしらぬわけではない。
しかし、火盗改メの臨時役は自分から望んだわけではない。
盗賊や放火犯をとらえてもともと、実績をあげなければ無能と評価をくだされる割には、役得があるという席ではない。
そもそも、盗賊が手ごころを期待して賄賂をよこすわけはない。
平蔵のいい分とすると、34組ある先手のどの組に――ということは、とりもなおさず役宅と組屋敷との遠近の配慮を、上の方々が優先して人選するはずなどないに決まっておる。
先手組の組子として俸禄をえているなら、それくらいのことは覚悟しているべきであろう。
先手組といえば、いざ戦闘となれば最前線で戦うのが職務である。
通勤道のりの遠近をいたてるなどの平和ボケは、いい加減にしておけ。
平蔵のほうが正論である。
が、正論、かならずしも世論とならないのも世の常。
だから平蔵は反駁しない。
耳を貸さないでいるだけである。
彼らを追従させる秘策は別にある。
ところで幕府は、別の意図にしたがって34組の与力・同心の組屋敷を配置していた。
それを考察する前に、組屋敷の配置の具合を見てみよう。
(史料は寛政3年の『武鑑』による)
鉄砲の2番手 牛込中里
鉄砲の11番手 牛込榎町
鉄砲の12番手 牛込榎町
鉄砲の18番手 牛込榎町
鉄砲の18番手 牛込榎町
西丸の1番手 牛込榎町
西丸の2番手 牛込榎町
(白切絵図 牛込北辺の先手組屋敷)
弓の1番手 牛込山伏町
弓の7番手 牛込山伏町
(白切絵図 牛込山伏町の先手組屋敷。 下は与力の現・20騎町
上部は上の切絵図と重なる)
弓の2番手 目白台
弓の4番手 目白台
弓の6番手 目白台
(白切絵図 目白坂上の台地。関口台ともいう)
弓の5番手 四谷本村
弓の8番手 四谷本村
弓の8番手 四谷本村
鉄砲の4番手 四谷伊賀町
鉄砲の6番手 四谷舟板町
鉄砲の10番手 四谷本村鍋弦
鉄砲の10番手 四谷左門横町
鉄砲の17番手 四谷本村
西丸の4番手 四谷本村
(白切絵図 四谷 先手組屋敷 甲州街道への備えからか最多)
鉄砲の1番手 麻布谷町
鉄砲の7番手 龕前坊谷(がぜんぼうだに)
鉄砲の8番手 龕前坊谷(がぜんぼうだに)
(白切絵図 麻布・赤坂 先手組屋敷)
鉄砲の5番手 本郷森川宿
鉄砲の14番手 駒込片町
鉄砲の15番手 駒込片町
(白切絵図 本郷・駒込 先手組屋敷 上=北)
弓の3番手 本所四ッ目
弓の7番手 竜土町
弓の9番手 駿河台さいかち坂
鉄砲の3番手 湯島苗木山
鉄砲の9番手 伝通院前
鉄砲の16番手 小日向
鉄砲の19番手 市谷五段坂
鉄砲の20番手 大塚御箪笥町
西丸の4番手 青山権田原
設営時には、いざとなればできるかぎりすばやく幹線街道へ達することが可能な位置に置かれたように推測しているのだが。
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