ちゅうすけのひとり言(89)
退院し自宅ケア体制にはいって2週間が経った。
自宅にもどったといっても、以前の書斎と書庫のあるフロアーのほうではなく、ベッドと医療器、パソコンと少しばかりの史料をもちこんで新しく整えた部屋である。
痛みどめ薬の影響で、躰がけだるい。
書斎から持ちおろしたこれまでにつくっておいた史料をめくっていて、「これは……」と感じたものをちびちびと[ちゅうすけのひとり言]のコーナーに揚げておくことをおもいついた。
いまやっておかないと、陽の目をみることもなく捨てられそうにおもえたからである。
後進の鬼平ファンがムダな労力をつかわなくてもすむようにネットに記録しておこう。
トップバッターは……と力むほどのことはないが、平蔵が先手組・弓の2番手の組頭を拝命した天明6年(1786)7月26日現在に席にいた先任組頭たちの初目見えと家督は幾つのときであったかというリストである。
これは、平蔵(へいぞう 41歳)の初見が23歳であり、これに対してある人が聖典『鬼平犯科帳』の継子いじめからきた放蕩が幕府に聴こえたので遅れたのであろうと推察されていた。
23歳の初見が遅いいかどうかは、その前後のいくつかの例をひかないと結論がでないはず。
で、ひとつは、平蔵と同日に初見した若者の氏名を記した『徳川実紀』をひいて検討した。
【参照】2008年12月1日~[銕三郎、初お目見(みえ) ] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
ただし、このときの初見者を確認のために『寛政重修l諸家譜』をあたったところ、『実紀』に記録されている30名なんかではなく150名を超えていることがわかった。
【参照】2009年5月11日~[銕三郎、初見仲間の数] (1) (2) (3) (4) (5)
先任組頭たちの場合は、時代に30年ばかり幅もあるので、年代的な変化の寸見もできようか。
長谷川平蔵が発令されたときに在任していた先手組頭の初見年齢と家督年齢(降順)
氏名 天明6 家禄 初見年齢 家督年齢
市岡左大夫正峯 82歳 1000石 23歳 39歳
倉橋三左衛門久 78歳 1000石 21歳 11歳(祖父の死)
浅井小右衛門元武 77歳 540石 11歳 11歳(祖父の死)
柘植五郎右衛門守清74歳 330石 22歳 32歳
三上与九郎季良 73歳 600石 32歳 32歳
田屋仙右衛門道堅 72歳 300俵 19歳 21歳
大井大和守持長 72歳 1000石 34歳 34歳
中山伊勢守直彰 71歳 500石 18歳 18歳
篠山吉之助光官 71歳 500石 25歳 25歳
遠藤源五郎常住 70歳 1000石 20歳 20歳
村上内記正儀 70歳 1550石 14歳 14歳
酒依清左衛門信道 69歳 900石 22歳 22歳
万年市左衛門頼意 68歳 1000石 19歳 19歳
一色源次郎直次 67歳 1000石 16歳 22歳
杉浦長門守勝興 67歳 620石 15歳 40歳
大久保弥三郎忠厚 66歳 1550石 17歳 27歳
長田仁左衛門繁尭 66歳 1300石 36歳 36歳
山中平吉鐘俊 66歳 1000石 17歳 16歳
松波平右衛門正英 65歳 700石 16歳 25歳
長田甚左衛門繁 64歳 1300石 36歳 35歳
新見豊前守正則 59歳 700石 15歳 17歳
浦上近江守景邦 58歳 300俵 9歳 ?歳
小野次郎右衛門忠喜54歳 800石 18歳 17歳
堀 帯刀秀隆 51歳 1500石 23歳 23歳
黒川友右衛門正香 50歳 1800石 23歳 34歳
長谷川平蔵宣以 51歳 500石 23歳 29歳
平蔵と初見の歳月・年齢が不詳の8人を除いた25名の初見合計年齢521歳を25で徐すると20歳9ヶ月。
平蔵はちょっと遅かったなという程度。
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