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2008.03.02

南本所・三ッ目へ(9)

_100ちゅうすけのひとり言ふうに】長谷川家が、南本所・三之橋通り、現在の菊川町へ移ったことには、松平阿波家蜂須賀家)と、小普請組の桑嶋家がからんでいることを、最初の示唆されたのは、滝川政次郎先生『長谷川平蔵 その生涯と人足寄場』(朝日新聞社 1975 のち朝日選書 中公文庫)である(『鬼平犯科帳』)の『オール讀物』連載から7年後に刊行)。

『東京市史稿 市街篇第27』を引いて、

長谷川家の屋敷が、築地湊町から本所のニッ目に移ったのは、明和元年(1764)のことで、平蔵は十九歳の秋まで築地に住んでいたのである。

これは、池波さんの『鬼平犯科帳』での入江町誕生説、目白台での死亡説を暗に意識しての文章であろう。あからさまな訂正は、あえて避けておられるやに、見うけられる。温情とも作法とも受けとれる。

滝川先生が確かめられた『東京市史稿』は、こうなっている---

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要約すると、桑嶋元太郎持古(もちもと 49歳 無役 廩米200俵)が拝領していた南本所・三之橋通りの土地1238坪を、長谷川平蔵宣雄(のぶお 46歳 小十人組頭 400石)へ譲り、長谷川宣雄は鉄砲洲湊町の479坪余の拝領屋敷を、松平阿波守重喜(しげよし 27歳 徳島藩主 25万7000石)の南八丁堀町の中屋敷へわたし、徳島藩は目黒白金の広大な下屋敷のうちから500坪の土地を桑嶋元太郎へ分与する---と、三角交換をしたということ。

ちゅうすけ付言】桑嶋元太郎の個人譜は、2008年2月25日[南本所・三ッ目へ](3)
三方相対土地替えの走り使いとして、〔丸子(まりこ)彦兵衛という、幕臣拝領地を専門にあつかう、いまでいう不動産屋も、地券(ちけん)屋として設定した。当初は「地目(ちめ)屋」ともおもったが、公儀の土地の相対を斡旋するには、もうすこし重みのある呼び名のほうがふさわしいとおもい、地券屋とした。地券とは、土地の権利書のこと。
〔丸子屋〕彦兵衛については、2008年2月23日[南本所・三ッ目へ](1)

また、桑嶋元太郎の説得役として、かの家の組頭・山口民部直郷 (なおさと 63歳 小普請支配 3000石)を捜しだした。
もっとも、慎重な宣雄のこと、桑島元太郎に上から圧力をかけては、成る話も成らないともかぎらないと読んで、手持ちの隠し玉としておくつもりであった。

ちゅうすけ付言】小普請支配・山口民部直郷の個人譜は、2008年3月1日[南本所・三ッ目へ](8)

滝川先生から貴重な教示を受けておいて、異を唱えるのはおこがましいが、宣雄が、1200余坪の屋敷地を望んだ動機を、先生は、

明和元年、宣雄が本所に千二百余坪の宅地を獲てからは、その宅地から上る地代が長谷川家の大きな財源となった。(中略)その一部を町人に賃貸して、地代を収めることが目的であり、彼は時勢の変化をよく見きわめていたか、それに応じた財政策を立てた理財家であったといわねばならない。

しかし、これには、そっと、異論をはさみたい。
先生も察しておられるが、三方相対交換とはいえ、1200余坪の土地を入手するには、よほどの増し金をはらったであろう。数百両であったろう。
その金利と、地代のあがりとどっちが大きかったろう?

ちゅうすけは、別の動機として、これまで推理してきたように、火盗改メを予想しての拷問部屋とみた。

それから、先生は、意識なさってかどう、桑嶋家が、目黒白銀に住むのではなかったらしい事実を黙殺しておられる。

『江戸幕府旗本人名事典』(柏書房 1989.6.30)の元太郎の孫・富三郎持晴(もちはる)の項である。

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屋敷が、本所林町5丁目と目黒白銀となっている。
(当分本所御蔵奉行石渡彦太夫宅同居(実家)とあるのは、桑島家へ養子へ入ったから)。

桑嶋家は、同じ天明元年に、手に入れた目黒白銀500坪の半分の250坪を、菊川町の河田孫太郎親良(ちかひさ 大番 廩米200俵)が所有していた林町の250坪の地と取り替え、そこへ住み替えている。
目黒白銀のような登城にはきわめて不便な遠隔の地との交換を許したのは、もともと、そこに住む気がなかったからともおもえる。
事実、幕末期の、松平阿波守の目黒白銀の下屋敷の一辺に名を連ねている数軒の幕臣の家々に、桑嶋河田の名はない。寛政以後、いつのころにか、売却したのであろう。
同時期の林町にも、桑嶋家と河田家の名はない。

枝葉の瑣末にすぎないが、今後の探索課題の一つではある。

ちゅうすけ付記】河田孫太郎親良は、銕太郎親茂(ちかしげ)の養子。年代的には、敷地の相対交換は親茂の時と思われる。


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