〔銀波楼』の今助(4)
{今助どの。千住宿の元締は?」
「〔花又(はなまた〕の茂三(しげぞう 58歳)元締のご新造は、うちの先代のお妹ごで、義兄弟の仲でやす」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)がうなづき、
「両国広小路の元締は?」
「〔薬研堀(やげんぼり)の為左衛門(ためざえもん 50歳)といい、〔衣板(きぬた)の元締めとは、犬猿の仲のはずでやす」
今助(いますけ24歳)が応じ、銕三郎は、〔木賊(とくさ)〕の縄張り(しま)の周辺の見取り図のおおよそを、頭の中に描くことができた。
「『孫子』の[用閒篇]---つまり、間諜(かんちょう)の活用篇--武田方では軒猿(のきざる)と呼ばれていたものです。そうそう、お竜(りょう 32歳)どの母ごは、軒猿の末裔とか、聞いたことがありました」
【参照】2008年10月1日~[『孫子 用間篇』] (1) (2) (3)
2009年1月28日[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)} (2)
お竜の名が銕三郎の口からこぼれると、寄り合いの場となっている茶店の女将・小浪(こなみ 32歳)の目があやしくひかり、
「長谷川の若はんは、甲斐にいかはりましたん?」
「3年前に、〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ)という、盗人(つとめにん)のことで---」
「あら、「初鹿野〕のお頭(かしら)の---」
「小浪。長谷川さまのお話の腰を折るでねえ」
今助(いますけ 23歳)が鋭く一喝した。
「かんにん」
「その[用閒篇]---篇]に、間諜には5種類あり、うまい術(て)は、内閒を使うことだとあるのです。内閒---すなわち、〔衣板(きぬた)〕の宇兵衛(うへえ 45歳)の一味の中に、こちらへの内通者をつくること。もっともいいのは、本人に内通しているとおもわないで仔細を話させてしまうことです」
今助も義兄・浅田剛二郎(ごうじろう 33歳)も井関録之助(ろくのすけ 22歳)も、腕を組んで考えこんでしまった。
その沈黙を破るように、小浪がぽんと手を打ち、
「いてます、いてます」
小浪の言うところでは、〔衣板〕一家の三番小頭の〔般若(はんにゃ)〕の捨吉(すてきち 24歳)がたまたま、〔小浪〕の客として一休みしていて、愚痴を話しにきていたまわりの女髪結い・お品(しな 23歳)の秩父なまりに、
「姐(あね)さん、秩父かえ?」
「はい。秩父郡(ちちぶこうり)の小鹿野(こがの)村(現・埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野)ですが、兄さんは?」
「隣の般若村の生まれよ」
「〔般若〕などと、そらおそろしい呼び名だから、背中に般若の彫りものでもしていやがるのかとおもえば、生まれた里の名か」
今助が小さくひとりごちた。
お品の世話をしていたさる大店の旦那が中風で倒れ、男ひでりだったので、たちまち出来上がった。
このあたりにも髪結いの客先が数軒かあるので、その帰りに油を売りにきては、捨吉ののろけをぶちまけるのだという。
「2人の意気があったのは、いつごろ?」
「春先どした」
「小浪どのと〔木賊(とくさ)のせんの元締どのとのことを気づいておるようですか?」
「興味はそそられていたかもしれへんけど、気ィはついてェへんおもいます」
「それでは、この店を売りにだしても、住まいは、いまのままのところということにしておいて---そこを知っていますか?」
「知ってェへんとおもいます」
「その、お品でいこう」
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コメント
孫子の用間篇、クリックで復習しました。信玄も家康も間者をふんだんに使った情報戦をやっていたんですね。
投稿: tomo | 2009.06.24 04:15
>tomo さん
そうなんです。
銕三郎は、お龍(りょう)と親しくなったことで、『孫子』に目覚めました。
きっかけがなんであれ、学ぶことはいいことだと思います。
信玄や家康をより多面的に想像てきたのも、そのお蔭ですからね。
投稿: ちゅうすけ | 2009.06.24 12:10