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2008.10.03

『孫子 用間篇』(3)

銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、なおも『孫子』[用閒篇]にとりつかれている。

凡軍之所欲攻撃、城之所欲攻、人之所欲殺、必先知其守将左右謁者門者舎人之姓名、令吾閒必索知之。

これから攻めようとしている相手の軍隊にしても、攻め落としたい城にしても、暗殺したい重臣にしても、必ず、それらを守っている者や側近たち、謁見を取りしきっている者たち、門番の面々、雑役者などの詳細---姓名を事前に調べ、こちらの間諜によく教えこみ、その者たちの性格---たとえば金銭欲の度合い、女色への強弱、不平不満の有無などを探りだすこと。

ここで、ちゅうすけは、はたと、おもいあたった。
池波さんは、戯曲から小説に転ずるに先だって、『孫子』[用閒篇]を熟読していたにちがいない---と)。

というのは、池波さんに、『鬼平犯科帳』連載の前に、忍者ものの連作がある。

年賦をくってしらべてみると、まず、1960年(昭和35)上半期の直木賞を与えられた『錯乱』(新潮文庫『真田騒動』に収録)がそうだ。
英米スパイ小説だとスリーパーものと呼ばれる系統のもので、探索先に何年も十何年も、いや、2代3代と潜伏していて、ある日突然スパイとして目をさまして活動するという仕組み。

_100池波さんの忍者ものの長篇として、ぼくたちは地方紙に連載された『夜の戦士』(角川文庫)、『週刊新潮』に連載された『忍者丹波大介』(新潮文庫)を記憶している。

_100_2池波さんに忍者もの執筆の刺激をあたえたものとして、親しかった司馬遼太郎さんの、1959年に刊行された『(ふくろう)の城』(新潮文庫)や、同じ1959年に刊行されて忍者ものブームに火をつけた山田風太郎さん『甲賀忍法帖』(講談社文庫)なども見逃せない。

ついでに記しいておくと、短編集『忍者群像』(文春文庫)も、工夫を凝らしたそれぞれの筋書きが、いかにも池波さんらしいし、このあとの『鬼平犯科帳』の白浪ものの原型としても、『孫子』[用閒篇]の応用篇としても読める。

_100_4ただ、ちゅうすけは、最近、『孫子』[用閒篇]を熟読して、池波さんはこれを『鬼平犯科帳』の密偵たちの創作に適用しているようにおもえてならないのである。

それで、造語の達人・池波さんの盗賊用語を集めてみた。
用語が執筆順につくられていった過程を並べて、考察・推理してみるのも、ファンとすれば『鬼平犯科帳』研究の一つの楽しみであろう。

真(まこと)の盗賊のモラル
 一、盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと。
 一、つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
 一、女を手ごめにせぬこと。
           [1-4 浅草・御厩河岸]
仕事(つとめ)   [1-4 浅草・御厩河岸]

狗(いぬ)      [1-1 唖の十蔵]
勘ばたらき     [1-1 唖の十蔵]
手びき       [1-1 唖の十蔵]
急ぎ盗(ばたらき) [1-3 血頭の丹兵衛]
急ぎ仕事      [1-3 血頭の丹兵衛]
お盗(つとめ)    [1-3 血頭の丹兵衛]
かための盃     [1-3 血頭の丹兵衛]
盗賊宿       [1-5 老盗の夢]
盗(つとめ)ざかり  [1-5 老盗の夢]
鼠盗(ねずみばたらき)[1-5 老盗の夢]
遠国盗(おんごくづとめ)[1-5 老盗の夢]
急場の盗(つとめ) [1-5 老盗の夢]
つとめやすみ    [1-5 老盗の夢]
泥棒稼業(しらなみ)[1-5 老盗の夢]
盗(おつとめ)    [1-5 老盗の夢]
盗金(つとめがね) [1-5 老盗の夢]
貸しばたらき     [1-7 座頭と猿]
色事(いろごと)さわぎ[1-5 座頭と猿]

おさめ金(がね)) [2-6 お雪の乳房]

首領(かしら)   [3-2 盗法秘伝]
盗人宿       [3-2 盗法秘伝]
お目あて細見   [3-2 盗法秘伝]
女盗(にょとう)   [3-3 艶婦の毒]

引きこみ      [4-2 五年目の客]
ならび頭(がしら)  [4-7 敵]

支度金(したくがね)[5-2 乞食坊主]
盗金(あがり)    [5-3 女賊]
押し込み      [5-4 おしゃべり源八]
ひとりばたらき    [5-5 兇賊]

狐火札       [6-4 狐火]
連絡(つなぎ)    [6-4 狐火]
蝋型(ろうがた)錠前[6-4 狐火]

隠居金(いんきょがね)[7-2 隠居金七百両]
助(すけ)ばたらき  [7-3 はさみ撃ち]
女だまし       [7-3 はさみ撃ち]
現役(いきばたらき)[7-3 はさみ撃ち]
流れ盗(づと)め  [7-3 はさみ撃ち]
たらしこみ      [7-4 掻堀のおけい]
ききこみ       [7-4 掻堀のおけい]
盗み細工      [7-5 泥鰌の和助始末]

独(ひと)りばたらき[10-1犬神の権三]
盗(つと)めばたらき[10-1犬神の権三]
密偵(てのもの)  [10-1犬神の権三]
こそこそ盗(つと) [10-5むかしなじみ]

嘗役(なめやく)  [12-7二人女房]

ながれづとめ    [14-2尻毛の長右衛門]
固めの盃(さかずき)[14-2尻毛の長右衛門]
口合人(くちあい) [14-2尻毛の長右衛門]

鍵師(かぎし)   [15-1赤い空]
畜生ばたらき    [15-1赤い空]
蝋型(ろうがた)  [15-1赤い空]

盗金(ぬすみがね) [16-1影法師]
嘗帳(なめちょう)  [16-3白根の万左衛門]

ひとり盗(づと)め  [18-2馴馬の三蔵]

引退金(ひきがね) [21-5春の淡雪]
盗(つと)め人(にん)[21-2瓶割り小僧]

これらの用語---「盗(つと)めばたらき」を「忍びばたらき」のごとくに、「盗み」を「忍び」に置きかえ、閒者と共通するものを探してみるのも一興である。

ちゅうすけ注】「忍びばたらき」の一例は、『忍者群像』収録の[<[寝返り寅松]]p86。

ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさのざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることは少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。
ごいっしょに散策していただければ、うれしい。

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まるで見当がつかず、闇夜に羅針盤なしで航海しているようなわびしさ。

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コメント

[E:sunsunsunsunsunsunsunsunsunsun]

投稿: tomoko | 2008.10.03 05:34

面白がっておりますよ!池波さんが孫子を参考にされていたであろうという推測、非常に妥当なものと思います。「錯乱」に出てくるスリーパーのコンセプトは、いかにも大陸から影響を受けていそうなアイデアと思います。
確か直木賞受賞時の選評でも「錯乱」に対して批判的な選者がいたと思いますが、少しわかる気がするのは、日本史の中であれだけ周到なスリーパーが活躍する状況を想定するのは、あまりにもできすぎて難しいようにも思うのですね。そしてあれを逆手に取る真田の殿様の知略というのも、スーパーマン的というか、そこまで長期的視野で諜報を考えるセンスが、想像しにくいようにも思うのです。

投稿: えむ | 2008.10.04 17:49

>えむ さん
これまでの池波論で、だれも『孫子』に触れていなかったので、思い切って、やってみました。ただ、並みの鬼平ファンには、いささか重かったみたいです。
ストーリー・テリングの面ばかりが強調されすぎています。
えむ さんのおっしゃるとおり、『錯乱』は謀略の極みですが、信玄とか、家康とか、真田ならやったかも。
『錯乱』では、酒井になつていますが。
さらに考えてみます。
鬼平についての新書の依頼もきているのですが、このテの本はうれないとふんで、二の足です。

投稿: ちゅうすけ | 2008.10.04 18:53

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