« 書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)(2) | トップページ | 『孫子 用間篇』(2) »

2008.10.01

『孫子 用間篇』

「父上。武田方から東照宮さまに召された家柄で、お親しい方はおられませぬか?」
夕餉(ゆうげ)のあと、茶をすすりなから、息子の銕三郎(てつさぶろう 23歳)が、父・平蔵宣雄(のぶお 50歳)に尋ねた。
庭は暮れなずんでおり、風もないのに桜花が散っている。

甲州方からの方々でのう---」
宣雄は、先手・弓の組頭から、順番におもいうかべはじめた。
自分は、8番手・与力5騎、同心30人を預かっている。

顔、本国、本姓をおもいうかべては、消していく---。

弓1  松平源五郎乗道(のりみち 300俵)
弓2  赤井越前守忠晶(ただあきら 1400石)
弓3  堀 甚五兵衛信明(のぶあき 1000石)
弓4  菅沼主膳正虎常(とらつね 700石)
弓5  能勢助十郎頼寿(よりひさ 300俵)
弓6  遠山源兵衛景俊(かげとし 400石)
弓7  長谷川太郎兵衛正直
弓9  橋本阿波守忠正(ただまさ 300俵)

ついに、いた!

弓10  石原惣左衛門広通(ひろみち 475石)

_360_4
_360_6

石原どの(60歳)がおられるが---」
銕三郎は、父の相変らずの精密な記憶力に感心しながら、
「甲州軍団では、どの隊に属しておられたのでしょう?」
「さあ。なにしろ、200年も昔のことゆえなあ。軍記もの講釈師あたりなら存じおろうかの---いや、待て。いつであったか、芦田右衛門佐どのの信州先方衆の組頭だったと伺ったことがあるような」
「信州先方衆---芦田勢だと、佐久あたりのお方でしょうか?」

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻8[明神の次郎吉]で、下諏訪から江戸へ向かう次郎吉(じろきち)は笠取峠の古たぬきと自称するが、その峠を江戸側へくだると芦田宿。

26360
(広重『木曾海道六十九次』笠取峠の松並木 峠の手前が芦田宿)

_100「どうかな? それはそうと、(てつ)は、何用があっての武田方調べかな?」
信玄公が座右からお離しにならなかった『孫子』について---」
「『孫子』のどの篇かの?」
銕三郎は、ちょっといいよどんだが、はっきりと、
「[用間]でございます」
「[用間]といえば、間者遣いの極意を説いた篇であったな。それをどうしたいのか?」
「読みたいのです」
「おろかなことを。大権現さまが公けの手で『武芸七書』を刊行されておる。番方(武官系)の家は、ほとんど蔵しておる」
「わが家にもでございますか?」
「とうぜん、ある。どこかにしまっておる」
(浅野裕一さん『孫子』講談社学術文庫)

武芸七書』には、『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子(うつりょうし)』『李衛公問対』『三略』『六鞱(りくとう)』がふくまれる。

宣雄は、非番の日にでも納戸を探してみる、と言ったあと、
。[用間篇]じゃがな。初目見(おめみえ)の予備面接には出ないから、のめりこむでないぞ」
「さきほど、ご公儀が『武芸七書』を刊行されたとおっしゃいましたが---」
「ご公儀ではない。公刊なされたのは大権現さまじゃ。[用間篇]は別じゃ。読めば分がるが、詐術まがいのことをすすめておるゆえ、王道こそが尊い道とおもうておる儒家たちが、覇道というてきらう」

つまり、徳川家康も、間者(かんじゃ 諜報者 スパイ)をフルに活用していたということであろう。

父・宣雄が渡してくれた『武家七書』を自分の部屋へ持ち帰るが早いか銕三郎は、長谷川主馬安卿(やすあきら 50歳 150俵)に教わった、『孫子』の[用閒篇]を、もどかしげに探した。

「理をわきまえた王侯や戦略にも長(た)けた将軍たちが、つねに勝利を手するのは、諜報への配慮が万全だからである」と前書きの次に書かれている、「間者を用いる5つの法」を読むにおよび、飛び上がらんばかりに狂喜した。
じっさいに、無意識のうちに、文机をたたき、腕を突き上げていたのである。

「間者には、5つの用い方がある。
以前からその地に住んでいる者を諜報者として取りこんだ間者を[因閒(いんかん)]という。
買収されたり、色じかけで転んだ相手国の官吏が[内閒(ないかん)]である。
相手国の間者に偽のネタをつかませるて逆利用すれば[反閒(はんかん)]となる。
亡命を装って相手方へガセネタを売り込むのを[死閒(しかん)]というのは、いずれガセネタと判明されれば殺されるからである。
相手方へ侵入して情報をさぐりとり、無事に戻ってきてつぶさに告げる隠密が[生閒(せいかん)]である」

こう書きしたためた銕三郎は、その手控え帳と『武家七書』をあわただしくつかみ、途中の酒屋で徳利いっぱいの酒をあがない、北森下町の学而塾に竹中志斎(しさい)師のもとへ、走るようにいそいだ。

ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさjまざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることは少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。


|

« 書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)(2) | トップページ | 『孫子 用間篇』(2) »

219参考図書」カテゴリの記事

コメント

sunsunsun

投稿: tomoko | 2008.10.02 04:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)(2) | トップページ | 『孫子 用間篇』(2) »