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2008.09.30

書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)(2)

銕三郎どの。そのことは、評定所の書留(かきとめ)で、書物奉行の書庫にあるかどうか---」
長谷川主馬安卿(やすあきら 50歳 150俵)は言いわけをした。

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)の頼みごとは、老叔母・於紀乃(きの 69歳)の5年前に亡じた夫・長谷川讃岐守正誠(まさざね 享年69歳)が、延享4年(1747)から4年間、甲府勤番支配として赴任させられた因がなんだったかを知りたい---という、突拍子もない案件であった。

延享4年といえば、銕三郎が誕生して2年目である。もちろん、記憶があろうはずはない。
また、父・平蔵宣雄(のぶお 50歳 先手頭)からも、本家の主・太郎兵衛正直(まさなお 55歳 1070石余)からも一度も聞いたこともないし、尋ねたこともない。

また、当事者の讃岐守正誠は52歳、於紀乃が47歳のときの人事である。

「無理にとは申しませぬ。お分かりになるかぎりでよろしゅうでございます。ひらにお願い申します」
「一つだけ、お聞かせくだされ。何ゆえのお調べですか?」

銕三郎は、しばらく主馬安卿の顔を見つめていたが、
「甲府の軒猿(のきざる)にかかわりがあったかと疑念いたしまして---」
「軒猿とは---忍びの?」
「はい。ご内密にお願いいたしますが、ある女盗(にょとう)にかかわっておりまして、そのことにつながりがあるかとおもいついたものですから---」

銕三郎どのは、『孫子』の[用間(ようかん)第13]をお読みになったことはおありかな?」
「いいえ。第6の[虚実篇]は筆写いたしましたが---」
久栄(ひさえ 16歳)に写本させておいて、いかにも自分がしたように口ぶりで答えたものである。

長谷川主馬安卿は、そこは気にとめず、
武田信玄公が愛読していたという[用間第13]がわが奉行所の書庫にありましてな。傍書きがそれはそれはたっぷり---」
信玄公のものであれば、拝見いたしたいものですが、そもそも[用間」とは---?」
「間者(かんじゃ)の用い方を説いたものです」
「あっ---」


ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさのざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることは少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。
ぜひ、ごいっしょに散策していただければ、うれしい。

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