西丸徒頭・沼間(ぬま)家のおんなたち
「蔵(くら)はん---」
躰が合わさってのち、奈々(なな 18歳)は呼びかけを、「長谷川のおじさま」から「蔵(くら)はん」に変えていた。
故人の里貴(りき 逝年40歳)が「銕(てつ)さま」と幼名で呼んでいたのを避けた奈々が、 「平(へい)はん」を提案した。
【参照】2010年1月18日~[三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇] (1) (2)
即座に、平蔵(へいぞう 40歳)が断った。
平蔵は、亡夫・宣雄(のぶお 享年55歳)によって創始された長谷川家の継承名であるから、閨(ねや)などで気安く使ってはいけない、ともっともらしく述べたが、ありようは、嶋田宿の本陣・〔中尾(置塩)〕の若女将・お三津(みつ 22歳=当時)が寝間で甘えて呼んでいたからであった。
「下が結ばれたんやし、平蔵おじさまの下の蔵をとって、〔くらはん〕はどない? ほかの人に聞かれたかて、おじさまとわからへんしぃ---」
「『忠臣蔵』、大石内蔵助どのにあやかるか」
「『忠臣蔵』のんは、大星由良之助はんやしぃ」
すっかり、芝居通に育っていた。
「蔵はん。お武家はんの世界ってむつかしいね」
「あらたまって、なにごとかな?」
今宵の客の沼間(ぬま)頼母隆峯 (たかみね 55歳 800石)が、長女に迎えた養婿のことであった。
「亡父の家訓として、他家の内情にかかわってはならないことになっておる」
「かかわるんやのうて、お客はんの実情をこころえておくだけ」
「その長女といわれる女性(にょしょう)は、たしか、2度目のご内室がおもうけになったはず---」
「ご存じやないん---?」
「3年ほど前に、徒頭におつきになる前は書院番士が永かったから、うわさはしぜんと耳にはいってきた」
先室が後継を生むことなく卒したので、その妹を迎えて長女ができ、次の男児は夭折した。
長女に迎えた養子とのあいだに子ができなかったので、実家へ帰す話がすすんでいた。
婿の実家は、1500石の大身なので話がこじれていると。
「沼間はんが桑山内匠政要(まさとし 61歳 1000石)はんに、どなたはんか仲裁しいはる人はあらへんやろかと問いかけはったら、そないな私事を、長谷川はんの祝いの席でしたらあかんやゆうてたしなめはりました」
平蔵が手水(ちょうず)にことよせて座をはずしたときのことだと。
ある筋から次女として養女を迎えたものの、養父とおりあいがつかず、これも実家がひきとっていた。
「なにかとままならないのが、武家の家よ」
「でも、蔵はんとこは、辰蔵はんの隠し子もちゃんと入れはったし---」
「うちは、お婆どのが在方(ざいかた)の生まれなので、さばけており助かる」
「うちも、多紀家のお嫁になった奈保(なお)はんみたいに、どこかのお旗本の養女にしてもろて、次に蔵はんの養女になろかな」
「おいおい---」
「冗談にゆうてみただけ---」
それでなくても、久栄(ひさえ 33歳)がひそかに角をはやしておるというのに---。
(沼間頼母隆峯の個人譜とおんなたち)
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コメント
このブログのすばらしいところは、平蔵の同僚への目配りまでが史実に則していることです。
平蔵そのものはもとよりのこと、彼の上下、幕府の要人にまで配慮がおよんでいて、期せずして歴史のおさらい、徳川の残滓が学べます。
さらには、奈々のような小妖精の脇役が現代の若い女性ふうを演じてくれ、おかしさを深めてくれます。
ほんとうにユニークなテキストですね。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.09.07 09:16
>文くばりの丈太 さん
上手に乗せられると、ついつい、いい気になりますね。幕閣のことはできだけ史実をあたっていますが、奈々は自由なキャラですから、行動も気ままです。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.07 19:42