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2011.09.06

平蔵、西丸徒頭に昇進(5)

「鉄漿(おはぐろ)親、当ててみるぅ---?」
松造(よしぞう 34歳)の姉さん女房のお(くめ 44歳)か、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 53歳)の連れあいのお須賀(すが 47歳)あたりしかおもいつかなかったが、奈々(なな 18歳)がわざわざ謎をかけるほどだから、きっと意外な人物にちがいなかろう、返事をひかえた。

鉄漿(おはぐろ)親とは、嫁入りとか成人したとかで初めて歯を染めるとき、手引きしてくれる先輩をそう呼んで敬した。

すでに桜色の短い閨着(ねやぎ)をまとった奈々は、片ひざ立てで股奥をのぞかせていた。
ふっくらと盛りあがっている秘部には、絹糸のような薄い陰毛が細い溝から離れ、数えられるほどしかついていない。

里貴(りき 逝年40歳)のそれになじんでしまっていた平蔵は、黒々とした密毛にはひるみ気味でさえあった。

平蔵がのってこないのにじれた奈々が、
奈保(なほ 22歳)はんや」
「なほ? ああ、っさんのご内室の---」
っさん〕とは、里貴を診とってくれた医師の多紀安長元簡(もとやす 31歳)で、奈保はその若妻であった。

元簡奈保の仲は、里貴がとりもった。
女躰に通じている〔(やっ)〕さんは、里貴をひと目で〔好女(こうじょ)〕と認定した。
〔好女(こうじょ)〕とは、美人のことではなく、卑俗にいう「床(とこ)上手」のおんなの別称であった。

参照】20121225[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)]  () () () (

里貴おばはんの見舞いに、たびたび来ていたん」
気をゆるすと、紀州弁がでる。
それも愛嬌のひとつとして、平蔵は聞きながしている。

奈保はん、17だったん---」
「なにが---」
先生を受けいれたん---」
「挙式の前に、〔好女〕かどうか、手ばやく診たてたんだな」

「だもんで、奈保はん、17歳でお歯黒---。うちも、17だったもん」
平蔵との最初の夜のことをいっていた。

参照】2011年9月30日[新しい命、消えた命] (

「うちは、おじさんのもんや、と自分にいいきかすため、歯を染め眉をおとしたん」
「可愛いことをいってくれる---」
里貴おばはんができへんかったこと、したいん」

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