ちゅうすけのひとの言(36)
安永年間(1772~80)iに幕府によって摘発された京都・禁裏の地下官人(じげかんじん 下級公家)の汚職にかかわった話を調べている。
ことの次第は、三田村鳶魚『幕府のスパイ政治』(中公文庫・鳶魚江戸文庫8『敵討の話幕府のスパイ政治』に収録)に書かれている。
もっとも、出典は例によって明らかにされていないから、確認ができない。
同書によると、長谷川平蔵宣雄が明和9年(1782---11月16日に安永と改元)10月15日(旧暦)に京・西町奉行に発令されたものの、翌2年6月22日(公的命日)に病死(享年55歳)。
後任として着任した山村信濃守良旺(たかあきら 45歳 500石)が、目付(役高1000石)から一足とびに1500石格に昇格したのは、地下官人の不正をあばく密命を帯びていたからだと、鳶魚老はいう。
【参照】2006年9月26日[町奉行・山村信濃守良旺(たかあきら)]
2006年7月27日[今大岡とはやされたが]
2007年8月30日[町奉行・曲渕甲斐守景漸(かげつぐ)
敏腕をもってなる勘定奉行・石谷(いしがや)備後守清昌(きよまさ 58歳=安永元年 800石)もいたことであるし、田沼主殿頭意次(おきつぐ 54歳 相良藩主 3万石)も正式老中となっていたのだから、幕府はその時、禁裏役人たちの不正にうすうす疑惑をもち、赴任する長谷川備中守宣雄に密命をさずけたのではないかと、ちゅうすけは読んだ。
【参照】2009年7月15日~[小川町の石谷備後守邸] (1) (2)
しかし、宣雄の在任中にはさすがに、はっきりとした結果が得られなかったため、記録が残されなかったと推察したのである。
山村信濃守は、みごとに暴いたので、彼が経緯と手柄を独占ししてまったのではなかろうかとも。
鳶魚老の『幕府のスパイ政治』の[御所役人に働きかける女スパイ]の経緯は、徒(かち)目付・中井清太夫(せいたゆう 100俵)が姪を、地下官人・御取次衆の高屋遠江守康昆(こうこん)に帰嫁させて、みごとに汚職の証拠を入手したことになっている。
処女の姪の操をかけたストーリーだから、いずれ、女性作家が女性の見地からこの策略を小説にするだろうとおもっていたら、諸田玲子さんの『楠の実が塾すまで』(角川書店 2009.7.31)がでた。
さっそくに入手。
もしや---とおもったが、長谷川平蔵宣雄の名はでてこない。
幕府は堪忍袋の緒を切らしていた。西町奉行の病死を機に、御目付だった山村を新たな奉行に任じた。
この一行だけである。
ストーリーはさすがで、よく練られており、鳶魚老のデータもきちんと取りこまれている。
巻末の参考文献には、鳶魚老『江戸の実話』(政教社)もあげられていた。
さて、われらが銕三郎(てつさぶろう のちの鬼平)である。
父・宣雄に先行して入洛し、女賊・お勝(かつ 31歳)を、御所ご用達の白粉舗〔延吉屋〕へ、化粧(けわい)指南師としてもぐりこませたまでのことは、すでに述べた。
そんな職業があったのかって?
『都風俗化粧(けわい)伝』(東洋文庫 1982.10.8)はベストセラーをつづけたと、解説文にしるされている。
女性が美しく見せたいのは、いつの時代、どこの国でも変わりはなかろう。
たとえば、上掲本の目次のいくつかを書き写してみよう。
耳へ白粉をする伝
久しく白粉せざる顔に白粉を落ち付かす伝
黒き顔に白粉する伝、ならびにはきこみおしろいの伝
顔の形によりて化粧の仕様ある伝
紅を付ける伝
青き顔をほんのりと桜色に見する伝
------
あなたが女性なら、すくにもページをさがすはず。
[顔だちによる化粧のしかた]から、数例を引いてみる。
困ったことに、ちゅうすけには、髪型の違いはわかるが、顔の形は、みな似ているようにみえるのだが---。
| 固定リンク
「200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事
- ちゅうすけのひとり言(95)(2012.06.17)
- ちゅうすけのひとり言(94)(2012.05.08)
- ちゅうすけのひとり言(88)(2012.03.27)
- ちゅうすけのひとり言(90)(2012.03.29)
- ちゅうすけのひとり言(91) (2012.03.30)
コメント
おお、諸田玲子さん『楠の実の熟すまで』、お読みになりましたか。
いつでもけっこうですから、読評をお聞かせください。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.08.10 06:21
>文くばり丈太 さん
諸田玲子さんの『楠の実の熟すまで』は追記によると、雑誌『野生時代』2008年7月号から翌年4月号に連載されたものといいますから、諸田さんの吉川英治新人賞、新田次郎賞を受賞されてからの作品のようです。
それにしても、10年間、単行本化されなかったのには、なにか理由があったのでしょうか?
小説そのものは、起承転結がしっかりした、史料をよくお調べになっていて、なるほど、三田村鳶魚をネタにすると、こうなるのかと、感心しながら読みましたが、いくつか、不満もありました。幕府側の探索に対抗する禁裏側の策が唐突すぎるところもその一つ。
高埜利彦編『朝廷をとりまく人びと』(吉川弘文館)に影響されたか、禁裏付をいちいち「禁裏付武家」と書くなどもその一つ。『柳営補任』は「禁裏付」としているのにです。
まあ、読みどころは、女スパイの女ごころの変化でしょうか。男性作家だと書きおとすところを、じんわりと書いています。
誘拐された人が犯人に親近感をおぼえる現象---スウェーデンなんとかっていいましたっけ---あれがうまくつかわれているとおもいました。
しかし、ひとごとみたいに言っていてはいけません。銕三郎、お勝に、しっかりしてもらわねば。
投稿: ちゅうすけ | 2009.08.10 09:48
「楠の実の熟すまで」についての、ご丁寧なレス、ありがとうございました。
図書館から通知がくるのが、待ちどおしくなりました。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.08.11 05:44
スウェーデン症候群ではなく、ストックホルム症候群でしたね。犯人にシンパシティを感じる被害者の心情---。
あやふやな記憶で書いたりして。ごめんなさい。
もっとも、利津---ヒロインの女スパイの名です---は、被誘拐者ではなく、自ら敵地へ入りこんだわけですが。
投稿: ちゅうすけ | 2009.08.11 11:06
先日、諸田玲子さん『楠の実の熟すまで』でご紹介になっていた、高埜利彦さん編『朝廷をとりまく人びと』というのはどういう本なのでしょう?
おひまなときにお教えください。
投稿: 文配り丈太 | 2009.08.12 06:02
>文くばり丈太さん
70年代、80年代から、高埜先生などを中心に、近世の朝廷研究がすすめられ、その周辺で動いていた人たちについての史料もつぎつぎに解読され、いろなんな姿があらわれはじめたらしいのです。
『朝廷をとりまく人びと』(吉川弘文館 2007.7.10)は、そうした先生方の意思的な研究発表といっていいでしょう。
これまでの日本史教科書には載っていないようなことも積極的に書かれています。
ぼくが興味を引かれたのは、22歳で崩御され桃園天皇の御子が幼少(4歳)であったため、急遽、桃園天皇の姉君が女帝---後桜街天皇---として即位された経緯などです。いまの女性天皇賛成論にもつながらいでしょうか?
投稿: ちゅうすけ | 2009.08.13 17:32