町奉行・山村信濃守良旺(たかあきら)
山村十郎右衛門良旺(たかあきら)が、安永2年(1773)6月22日に病卒した長谷川備中守宣雄の後任として、京都西町奉行に着任し、江戸へ帰る長谷川一家のことにあれこれ気を配ったことは、今年7月27日の本稿で述べた。
病卒した長谷川宣雄の享年は55歳。
後任の山村良旺は45歳、よほどの能吏であったのだろう。着任2ケ月後、当然のように従5位上(---寛政譜。下の誤記か)信濃守へ叙爵。
この山村良旺がある内命を与えられていたとするのが、三田村鳶魚(えんぎょ)翁である。
すなわち、禁裏役人が納入商人となれあって不正をはたらき、私腹をこやしている疑いがあるから、真相を究明しろ、というのがそれ。
幕府が立て替える禁裏の諸費用が水ぶくれしていたための、私曲摘発だった。
(鳶魚江戸文庫8『敵討の話・幕府のスパイ政治』中公文庫 1997.4.18)
山村奉行の下司のかたちではたらいたのが、江戸から従ってきた徒目付(かちめつけ)中井清太夫で、姪を問題の禁裏役人に嫁入りさせるようなことまでして内偵につとめた。
その経緯は、本稿の主旨ではないから、顛末は上掲書でお読みいただくとして---。
じつは、この探索事件のことは、平岩弓枝さんも『御宿かわせみ』の第3話[卯の花匂う](『小説サンデー毎日』1973年6月号 のち文春文庫『御宿かわせみ』に収録)で触れている。
とはいえ、同文庫の新装版では削られている。主役や準主役に子どもたちが生まれ、年代あわせが困難になったためだろうと推察しているが。
いいたかったのは、禁裏役人の私曲にともなう御所経費の増大は、山村良旺が着任前から始まっていたろうし、敏腕をふるっていた前任者の長谷川宣雄が病死するなどとは、だれにも予想できることではないから、とうぜん、長谷川宣雄にも密命が伝えられていたろう推理。
とすると、奉行所の与力・同心へはもらすことができなかった宣雄は、息子の銕三郎へひそかに探索方を命じていたのではないか、ということ。このとき、銕三郎は27,8歳、仕事をさせられる年齢であった。
もちろん、山村信濃守でもなかなか成果があがらなかったほどの奥の深い事件だから、銕三郎の調査は難渋、ほとんどなにもつかめなかったとはおもう。
しかし、いろいろと探索の手だてを考えるのちの平蔵を想像してみるだけでも愉しいではないか。
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