若い獅子たちの興奮(2)
〔音羽(おとわ)〕の新造・お多美(たみ 41歳)から上座の真ん中の席に請じられた平蔵(へいぞう 37歳)は、頭(こうべ)をふり、固辞した。
〔化粧(けわい)読みうり〕も、京都で板行を始めてまる10年経った。
:「10年ひと昔ともいい、移り変わりは世の常。きょうは、いまの若い人たちの目でみた〔化粧(けわい)読みうり〕について、黙って聞かせてもらうつもりでおる」
「若いいわはると、うちら、もう、お婆ぁちゃんどす---」
お多美がこころにもない卑下をもらし、苦笑した。
「いや、生まれてから迎えた正月の数ではなく、世の中の動きについていけておるかどうか、だから---」
平蔵がとりつくろう。
そのとき、平蔵の頭をよぎっていたのは、嶋田宿の本陣の若女将・お三津(みつ 22歳)の、みだらであることを恥じないというより、すすんでそれを演じきる若さであった。
縁切りなど、気にも苦にもしていなかった。
お三津に会ったのは、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 50歳)と〔耳より〕の紋次(もんじ 39歳)であったが、2人とも、西駿河板の板元を引きうけるために、江戸まで平蔵についてきた度胸のよさと 独り立ちの心根に驚いていた。
権七がそっと訊いた。
「置塩さま。親ごさんのお許しはでているのでございますか?」
「相談するほどのことではないでしょ。したところで、風評が金に化けるなどということは考えの外よ」
権七に笑いかけたものである。
しばらく、みなはお互いの顔をみあわすだけで発言がなかったが、日本橋通り南3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕で化粧指南師代理をしているお乃舞(のぶ 23歳)が手をかざし、
「長谷川はん。ちょっと、よろしおすか?」
平蔵がうなずくと、みなから顔がみえるように、お勝と五左次(いさじ 22歳)のあいだへ座をずらし、
「お勝かあはんの下で、化粧師助(すけ)をさせてもろうてます乃舞、いいます。妹の咲(さき 20歳)は、宇都宮へ縁づき、〔釜川(かまがわ)〕の元締はんとこの〔読みうり〕の、白粉屋はんの化粧師をさせてもろうてます」
〔音羽〕のお多美が微笑した。
【参照】2010年11月6日[お勝の杞憂] (3)
「じつ、いいますと、うちも咲も、〔音羽〕のかあはんとおんなじ京育ちでおます。そやいうたかて、かあはんとうちらでは月とすっぼんどすけど---」
宇都宮の咲のいいぶんは、〔化粧読みうり〕には、どことのう、上方のものは上等、東のものは劣るといった気配がにじんでいる。
京の呉服は美しいが、宇都宮へ住みついてみると、このごろでは、結城や館林の絹物のできは、京に劣ってはいない。
なのに、あいかわらず京が上手(うわて)というのは、〔読みうり〕の板木が京で彫られているからではないか。
いっそ、板木づくりも江戸でやったらどうか。
お勝が口をそえた。
「眉の引き方ひとつかて、上方と江戸では、好みがちがいます」
「箱根からこっち、東(あづま)気質は間違いないが、西駿河ばどっちでしょう?」
権七が元箱根の雲助時代をおもいだしながら、平蔵へ問いかけた。
しばし、思案したふりで、
「三河までは関東ぶりであろう」
〔木賊(とくさ)の今助(いますけ 35歳)が〔耳より〕の紋次にたしかめた。
「板木づくりを江戸でやる目安は---?」
「上方より1割5分がた値がはろうが、西駿河分や相模分がふえれば、帳消しになるはず---」
もじもじしていた〔馬場(ばんば)〕の五左次(いさじ 22歳)が、
「色刷りのきれいな浮世絵が出回っております。いっそ、〔読みうり〕も色刷りのおんなの絵にしたどんなものでしょう?」
この一言で、みんなの頭の中が色刷りになった。
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コメント
いやあ、昨日今日の「若い獅子たちの興奮」には恐れ入りました。
席順という無言のしきたりを香具師の世界にことよせて描いたかとおもうと、きょうは、上方からの「下りもの」と「東もの」の台頭のによるモノと文化の逆転のきざしを若い人たちの側から描くという、時代小説とは思えない着眼---まるで現代です。
このブログから、ますます目が離せなくなってきました。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.05.27 05:05
>文くばりの丈太 さん
相変わらずのお心のこもったコメント、勇気づけられました。
それというのも長谷川平蔵が情報操作で捜査コストを減らしていた史実から、情報ルート、コスト意識をどうやってつくりあげたかの探求もブログのテーマの一つでした。
やっと、半分ほどは構築できたとおもいます。[化粧読みうり〕による各地の香具師の元締とか貸元とのつながりと、商店とのかかわりです。横道にそれているのではなく、火盗改メ時代への布石をうっているつもりです。
投稿: ちゅうすけ | 2011.05.27 16:10