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2005.03.28

〔鹿間(しかま)〕の定八

『鬼平犯科帳』文庫巻21に入っている[討ち入り市兵衛]で、元のお頭〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛の本格派の盗めぶりに飽き足らず、畜生ばたらきの〔壁川(かべかわ)〕の源内一味につき、〔蓮沼〕一味との交渉役を買ってでた盗賊。
2年前から深川・三好町で釣具屋を構えて、〔壁川〕一味の江戸での初仕事に備えている。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:伊勢(いせ)国鈴鹿郡(すずかこおり)鹿間村(現・三重県四日市市鹿間町)
別に、飛騨(ひだ)国吉城(よしきごおり)郡鹿間村(現・岐阜県吉城郡神岡町鹿間)の線も捨てがたかったが、3つの理由で前者を採った。
1.神岡町の鹿間は、江戸期、戸数9、人数64の辺鄙な郷であった。こういう土地で育った仁が、目先の利益にとらわれることはすくなかろう。
2.〔蓮沼〕一味のテリトリーはほとんど江戸。対する〔壁川〕一味の本拠は上方から中国筋。このように盗みのテリトリーが異なる一味のあいだを器用に渡れるのは、東海道筋育ちの世慣れた仁でなくてはできまい。ましてや、〔鹿間〕の定八がやったのは、〔壁川〕の源内に代わっての〔蓮沼〕の市兵衛やその右腕〔松戸(まつど)〕の繁蔵との交渉役であった。
3.池波さんは、忍者ものの取材で、伊賀や鈴鹿辺を丹念にしらべてい、土地勘がある。

探索の発端:本所・二ッ目、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の女主人お熊が、隣の〔植半〕の裏庭で倒れていた重傷の男を見つけ、自分の家へ運んだ。
密偵・彦十がその男は、20年も前に知り合っていた〔松戸〕の繁蔵と証言し、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、いまは神格化されている盗賊の頭領〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛の右腕だといった。
〔松戸〕の繁蔵の頼みで、彦十が〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛に事情を説明すると、市兵衛はさっそくに仇討ちを決めた。

結末:旧暦2月初めの朝5時近く。灰色の筒袖の上着に股引、紺の手甲・脚絆、鉢巻に足袋跣(たびはだし)の〔蓮沼〕一味6名に、木村忠右衛門に化けた鬼平が、深川・三好町の釣具屋に討ち入った。
首魁の〔壁川〕の源内は、鬼平に捕まり、市兵衛の短刀で刺殺されたが、〔蓮沼〕側も市兵衛のほか3人が討ち死に。
しかし、〔壁川〕側の4名の死者、3名の逃亡者の中に、なぜか、〔鹿間〕の定七の名は記されていない。

つぶやき:本格派の〔蓮沼〕一味対畜生ばたらき派〔壁川〕一味の対決は、どちらも首領を失っているから、勝ち負けなしなのだが、読み手は、〔蓮沼〕一味の勝ちとおもいたがる。池波さんの筆力の妙である。

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コメント

[討ち入り市兵衛]には、主要な盗人が、少なくとも5人は登場しています。
・〔蓮沼〕の市兵衛
・〔松戸〕の繁蔵
・鞘師の長三郎
・〔壁川〕の源内
・〔鹿間〕の定八

この中から、まず、〔鹿間〕の定八をお選びになったのには、なにか、意味があるのでしょうか。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.28 11:28

>文くばり丈太さん

いつも、すてきなコメントをお寄席せいただき、ありがとうございます。

さて、〔鹿間〕の定八を選んだについては、さしたる意味はありません。
本来なら〔蓮沼〕の市兵衛をトップに据えるべきでしょうが、「蓮沼」という地名はあちこちにあり、決めかねているのです。
〔松戸〕の繁蔵の「松戸」を、下総国葛飾郡の、いまの「松戸市」と、簡単にきめていいかどうか、悩んでいます。
〔壁川〕の源内の「壁川」という地名の手がかりを、まだ、つかんでいません。

そんなこんなで、とりあえず、〔鹿間〕の定八に登場しもらった次第です。


投稿: ちゅうすけ | 2005.03.28 12:32

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