〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻16にはいっている [見張りの糸] には、相互にまったく関係のない2組の盗賊グループが登場する。
最初の組は、かつて〔相模(さがみ)〕の彦十が3年ほど加わっていたことがある〔狢(むじな)〕の豊蔵の弟の〔稲荷(いなり)〕の金太郎(50がらみ)一味。盗人宿を彦十がつきとめた。
(参照: 〔稲荷〕の金太郎の項)
2つ目の組は、〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛親子と配下の太助(45,6歳)。17,8年ほど前に盗めをやめ、本拠の京都を引き払い、これまで一度も盗めたことのない江戸へくだってきて、芝の三田八幡宮(御田八幡神社 港区三田3丁目)の向いに仏具の店〔和泉屋〕を構えている。
三田八幡宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
ついでのようなもう一つの組は、兄を目の前で〔堂ヶ原〕の忠兵衛に殺され、いまは浪人となって忠兵衛の命と金を狙っている戸田銀次郎(35,6歳)一味である。
八幡宮の門前の茶店〔大黒や〕が、〔狢(むじな)〕の豊蔵一味の盗人宿と見込みをつけた火盗改メが、〔和泉屋〕の2階の表に面した部屋を見張り所に借り受けたことから、忠兵衛たちに不安がきざした。
年齢・容姿:70に近い。おだやかげな人品。
生国:山城(やましろ)国綴喜郡(つづきこうり)八幡(やはた)村堂ヶ原(現・京都府八幡市橋本堂ヶ原)
山口県と佐賀県にも「堂ヶ原」があるが、京都から江戸へくだってきたというから、八幡市を採った。
探索の発端:京都西町奉行所の与力・浦部彦四郎が下府してき、鬼平を訪ねて、探索の実地見学を希望。そこで、かつて幾たびも煮え湯を飲まされた、〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛親子を認めて、鬼平へそっと耳打ちして帰京していった。
結末:鬼平がひそかに『〔和泉や〕忠兵衛を監視していたとろころへ、戸田銀次郎たちが忍びこんできたものである。たちまち逮捕。しかも、忠兵衛親子もかつての呼び名を告げて逮捕。
もちろん、赤坂・表伝馬町の〔丸屋〕へ押し入ろうとしていた〔稲荷〕の金太郎一味17名も一網打尽。
つぶやき:戸田銀次郎の実兄を、なぜ、〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛が殺害したかは、書かれていないし、戸田浪人も口を濁す。
ということは、非は戸田の兄のほうにあったとみる。分け前のことで理不尽ないいがかりをつけたか、忠兵衛の女に手をつけたか。
このあたりを読み手の想像にまかすところも、『鬼平犯科帳』の連載も佳境に入り、池波さんも老練になってきた証拠か。
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