〔倉ケ野(くらがの)〕の徳兵衛
『乳房』(文春文庫)は、 『鬼平犯科帳』の番外編といえよう。 『週刊文春』1984年1月5日号から7月26日号に連載された。
カヴァー絵は、池波さん
『鬼平犯科帳』シリーズが始まったのは1968年新年号『オール讀物』からだから、17年遅れである。この歳月は大きい。
『乳房』のヒロインお松は、「女は、男しだい」という池波さんの人生哲学---というよりも女性観をなぞるような人物だが、じつはもつと大切なこと---自己欲のない女性として生きている。
お松のその生き方を最初に認めたのは〔阿呆烏〕の長次郎(4O歳)、つづいて〔倉ケ野くらがの)〕の旦那がほれ込んで伴って京へ上った。
〔倉ケ野〕の旦那、じつは、上方から中国筋、ときに越中、美濃あたりを縄張りにしている泥棒の首魁、〔倉ケ野〕の徳兵衛である。
年齢・容姿:登場時は51,2歳。小肥りで、白いものがまじった髪。太い眉毛。細いがやさしげな両眼。
生国:上野(こうずけ)国群馬郡(ぐんまこおり)柴崎(しばさき)村(現・群馬県高崎市柴崎)。
〔通り名(呼び名)〕は〔倉ケ野(くらがの)〕と〔柴崎(しばさき)〕の徳蔵の2つをもつ。
いまは密偵になっている〔豆岩〕(35歳)が〔倉ケ野〕の徳兵衛の右腕〔赤堀(あかぼり)〕の芳之助(40代)に、〔倉ケ野〕の生国を「倉ケ野か?」と訊き、「倉ケ野の近く」と答えられている。
(参照: 〔豆岩〕の項)
「柴崎」は「倉ケ野宿」から北へ2キロたらずの郷である。
明治20年陸地測量部製作の倉賀野と柴崎近辺地図
幕府道中奉行製作の『中山道分間延絵図 倉賀野宿』
探索の発端:〔豆岩〕の父親〔伏木〕の卯三郎の手伝いをしたこともある〔赤堀〕の芳之助が三好町の〔豆岩〕の店へ訪ねてきて、〔倉ケ野〕一味の引退盗(ひきづと)めを手伝わないかといった。
与力・佐嶋忠介へことが告げられ、佐嶋の手配で探索が始まった。
結末:芝口2丁目の菓子舗〔海老屋〕へ押し入ろうとした〔倉ケ野〕一味15名は、全員逮捕。
で、〔豆岩〕と佐嶋与力との密約、〔赤堀〕の芳之助だけは見逃す---はどうなったろう?
つぶやき:「女は、男しだい」という女性観を、『鬼平犯科帳』で最初に口に出したのは、文庫巻3[むかしの男]で、鬼平の奥方・久栄である(それ以前に書かれた作品もあるかも知れない)。
お松が女性には珍しく無欲なのは、最初の男に寝間で「不作の生大根をかじっているような」といわれたからであるらしい。それが人生をいいほうへ転がした。この「不作の生大根」がじつは、どんでんがえしのタネになっているのだ(笑い)。
さて、池波さんの「倉賀野」へのこだわりについて。
多くの資料は「倉賀野」と記しているのに、池波さんは『乳房』でも『鬼平犯科帳』文庫巻2[埋蔵金千両]でも、『剣客商売』の道場主・牛堀九万之助(41歳)の出身地でも「倉ケ野」と表記ているのは、岸井良衛さん『五街道細見』(青蛙房)に拠ったからと見る(ただし、文庫巻4[霧の十郎]での道場主・坪井主水は「倉賀野」の浪人の生まれ)。
[埋蔵金千両]では、〔小金井(こがねい)の万五郎〕の妾兼女中のおけいが、上田へ人を迎えに行くのに中山道の新町から倉ケ野のあいだを横切る烏川の柳瀬の渡しで、埋蔵金を独り占めにするために引き返す決心をする。
(参照: 〔小金井〕の万五郎の項)
若いころの池波さんは、このあたりを旅して土地勘を身につけたものか。
冒頭に、『鬼平犯科帳』と『乳房』のあいだには17年の歳月が横たわっていると書いた。そのあいだで『剣客商売』が始まっている。『剣客商売』で池波さんは田沼意次の評価を変えたかに見えた。ところが『乳房』では、その評価が消えている。どうしたことか。「ひょっとして、代作?」とすら疑った。
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コメント
『乳房』、先週、読み終えたばかりで、あまりのタイミングの良さにちょっと驚きました。
ヒロインお松の欲の薄さは、現代女性の自己実現意欲の高さからみると、ウソみたいなところもありますが、その欲の薄いところが男性に安心感を与えるというのですから、困りますね。
池波先生の小説で「倉賀野」を「倉ケ野」と表記している基が『五街道細見』に拠るとのお説ですが、『五街道細見』という本、初めて知りました。もうすこし、説明していただけますか?
投稿: 目黒の朋子 | 2005.04.02 09:12
>目黒の朋子さん
手持ちしている岸井良衛さんの『五街道細見』、(青蛙房 1959.03.15 初版 500部 ¥1,200)と奥付にあります。
時代小説の道中ものを読むときに座右にあるととても便利します。
どんなものか、ページを図版でお示ししないとお分かりにならないでしようから、来週あたり、著作権に触れない程度に、[週刊掲示板]でお示ししましょう。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.02 09:54
倉賀野(池波さんは倉ケ野)は「鬼平犯科帖」「剣客商売」「乳房」
に度々表れる地名ですが、仕掛け人藤枝梅按の「影法師」にも
でてきます。
大阪の香具師の元締め白子屋菊衛門を殺した梅按が江戸を発って後、小杉十五郎は上州倉ケ野で長らく病床についている旧友を見舞うため旅立ったとあります。
池波さんのこれほどに、こだわっていた倉賀野に私は2年程前に行きました。
中山道69次の12番目の宿場です。
往時は碓氷峠を牛馬で越えて米麦、織物木材、煙草などがここに
集められ,烏川から川舟で利根川を経て江戸へ運ばれ,帰りには
干魚、油,、茶、塩,砂糖、などを運んできたようです。
そのため多くの倉があったっことから「倉賀野」といったとか。
賑わっていた倉賀野の宿も,高崎、上野間の鉄道の開通でさびれ
今は静かな烏川の流れと中山道と日光例幣使街道の分岐点の
追分に文化14年建立の常夜灯が残っておりました。
投稿: みやこのお豊 | 2005.04.12 01:47