〔石墨(いしずみ)〕の半五郎
『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻6は長篇だが、その冒頭の[殺気の闇]の篇で、梅安の捨て身の仕掛けで殺された大坂の暗黒街の顔役〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門の跡目をねらう〔切畑(きりはた)〕の駒吉が、梅安をしとめることで後継者の地位を認めさせようと、すご腕の仕掛人を江戸へ送りこんだことが明かされる。その1人が〔石墨(いしずみ)〕の半五郎である。
年齢・容姿:36,7歳。細身で、身のこなしが軽い。
生国:上野(かずさ)国利根郡(とねこうり)石墨村(現・群馬県沼田市石墨町)
池波さんは、下総(しもうさ)の生れなので江戸の地理にくわしく、3年前に〔白子屋〕菊右衛門に呼ばれて大坂へ行ったとしているが、下総には「石墨」という村はなく、あるのは昭和29年に沼田市の町名となったここだけ。石墨を産したからとも、穴居の遺跡(石住)が多いからの命名ともいう。
池波さんは『真田太平記』の取材で、幾度も沼田市とその近郊を取材しているはずである。そのときの記憶がなんらかの記憶とこんがらがって「下総」と書いてしまったのであろう。「石住」の意ならどこにあってもおかしくない。
結末:「石墨」の半五郎が独創とおもいこんでいた梅安への仕掛けは、じつは、かつて〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門が〔鵜ノ森(うのもり)〕の伊三蔵に教えたものとおなじだったのである。
患者を装って施療をうけ、うつ伏せから仰向きになる瞬間に梅安の喉首を切り裂く。
しかし、梅安は2度と同じ術(て)にはひっかからなかった。半五郎の鼻柱に拳骨をくわせ、さらに胸の下の急所を打って気絶させておき、ぼんのくぼへ仕掛針を刺した。
つぶやき:文庫巻5,6,7(未完)は、仕掛人の梅安が、逆に、つぎからつぎと、すご腕の刺客に命を狙われる展開になっていて、読み手ははらはらさせられどうしである。池波さんの作劇術のいちだんの冴えを納得させられる。
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コメント
ご無沙汰しました。
とはいえ、ブログばずっと拝読しておりました。
270人をこえたのですね。お調べになるのはたいへんでしょうが、すごいです。
きょうの、「石墨」、原典にはたしかに「下総」とありますね。いつも、ちゅうすけ先生が指摘なさっているように、池波先生の早合点でしょうね。
「上野を「下野」と早合点し、さらに「下総」と早飲み込みされたのではないでしょうか。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.09.18 14:19
>文くばり丈太さん
ほんと、お久しぶりでした。お元気でしたか。
盗賊調べも、250人をこしてくると、さすがにみなさん、コメントづかれとでもいうのか、筆(指先)が遠のきがちで、いささか、さびしいおもいです。
そうは気ばらないで、なんでもお書き込みしていただくと、管理者としてはうれしいのですがね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.09.19 02:56