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2005.02.26

〔牛尾(うしお)〕の太兵衛

『鬼平犯科帳』には、〔牛尾〕を「通り名(呼び名)」にしている盗賊の首領が2人、登場する。
1人は文庫巻9[泥亀]で取りあげた〔牛尾〕の太兵衛である。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項)
もう1人は巻20[おしま金三郎]で、かつて小柳安五郎と松波金四郎が現役時代に捕らえた賊で、名前だけがでてくる〔牛尾〕の又平。
この項で扱うのは、前者の〔牛尾〕のほう。

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年齢・容姿:記されていないが、25年も昔に、空き腹をかかえて難儀していた〔泥亀〕の七蔵(当時28歳)を一味に拾いげたというから、5,6歳年上とすれば、57,8歳。中風で倒れて3カ月後に、再起不能と見た一味全員に逃げられた。
生国:遠江(とおとうみ)国山名郡(やまなこおり)金谷宿牛尾郷(現・静岡県島田市牛尾)
「牛尾」はほかにも数箇所あるが、お盗めは駿河・遠州から伊勢へかけてとあり、岡部宿で呉服屋を表看板にしていたというから、東海道筋、大井川西岸の金谷町をとった。

探索の発端:3年前、三田寺町の魚籃観音堂・境内の茶店〔泥亀茶や〕の亭主におさまるとき、〔牛尾〕の太兵衛の盗人宿の番人を20年間もつとめていた七蔵は、お頭からもらった50両で茶店の権利を買ったのである。
大恩があると七蔵がおもいきわめているそのお頭の太兵衛が中風で亡くなり、遺された妻娘が苦労していると聞かされ、なんとか恩返しに50両の金をと、痛む痔疾をおして、押しこみ先をさがす七蔵に尾行がついた。

結末: 〔牛尾〕の太兵衛の遺族の苦境を七蔵に知らせた〔関沢(せきざわ)の乙吉の盗み金50両が、鬼平のはからいで妻娘へ届けられた。

つぶやき:「恩は着せるものではなく、着るものだ」は、池波さんが長谷川伸師から教わった人生作法の一つである。
〔牛尾〕の太兵衛に対する〔泥亀〕の七蔵のつくしようは、まさに「恩を着る」人間らしい姿であろう。
恩は、金子や物品とはかぎらない。いまでは、むしろ、無形の情報やアイデアのほうが貴重な場合もある。

つぶやき その2:2005年03月06日 金谷町牛尾地区を訪れた。
JR東海線金谷駅で、昼間は1時間に1本という大井川線で4駅、「五和(ごか)」下車。もちろん、駅員はいない。
徒歩5分で建設中の第2東名にぶつかる。右手の小高い丘が牛の後半身に似ているので、それで「牛尾」かとも思った。違った! 初老の男性が教えてくれた。
「かつては、潮(うしお)と呼ばれていたようです。それというのも、いま、向こうの杉の木立の(と、牛の後身に似た丘を指し)養福寺の麓に、老人のための集会所〔牛尾潮寿会憩の家〕がありますが、あそこで、湧いてでている潮水を引いて沸かして温泉にしています。その、潮(うしお)が、いつのまにやら牛尾になったとか」

平成16年(2004)刊の『掛川市史 中篇』で確認したら、牛の後半身に似た丘は、その昔は「潮山」といっていたと。

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牛の後身に似た丘から見た牛尾地区

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高齢者のための潮水温泉のある「牛尾潮寿(ちょうじゅ)会憩の家」

そうか、プレートの移動で海中から日本列島ができたとき、地下にとりこまれ、たくわえられた海水かな。
それにしても、「潮(うしお)」が「牛尾」とはねえ。現地を踏まないとわからない経緯。

いやいや、池波さんの取材力に感心すべきだ。
金谷町の牛尾地区は、旧東海道からそれほど北ではない。徒歩20分ばかりか。家康や信玄との関連はまだ調べていないが、池波さんは足を踏み入れたにちがいない。もしかして、潮水温泉のことも承知していたかも。

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コメント

〔泥亀〕の〔牛尾〕のお頭への恩返しの心意気は、女性読み手であるあたくしたちにもつたわってきます。
痔疾になやみながら、御油までまで金を50両とどけた〔泥亀〕の心意気をかんじてやっください。

いまどき、〔泥亀」のような門弟はいませんよ。

投稿: 加代子 | 2005.02.26 20:20

>加代子さん

いや、〔泥亀〕の七蔵が、傷む痔をかばいながら、お盗めに入れそうな店を探してあるく姿---律儀な七蔵だけに、想像するだけで笑えてしまいます。
痔に苦しんだ池波さんならではの筆の力ですねえ。

投稿: ちゅうすけ | 2005.02.28 13:09

「牛尾」が「潮」から転じた地名だったなんて、現地を踏んでこそわかることですね。
先生の現地探索志向、頭が下がります。

投稿: 目黒の朋子 | 2005.03.07 19:15

>目黒の朋子さん

静岡県立中央図書館へ寄ったついでに、『掛川市史」(平成16年3月1日刊)で確かめてみたら、写真に撮った丘は、かつて「潮山」と呼ばれていたとありました。

根が疑い深いもので、きちんと確認しないと気がすまないだけなのですが。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.29 17:02

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