与板への旅(15)
翌朝。
〔備前屋〕本店の者たちが、陣屋へあいさつに行く平蔵(へいぞう 36歳)主従を見送る中、女主人の佐千(さち 34歳)が手ごろな酒徳利に紙片をつけて手渡し、
「長谷川さま。〔ますや〕の場所でございます。七ッ(午後4時)には、お待ちしています」
ささやいた。
藤太郎(とうたろう 13歳)は、陣屋から信濃川の渡舟場までつきそってき、平蔵へ黒い小石を手わたし
「雪が解けたら、江戸へ上ります。これは黒川の川原の石です。お持ちくだ゜さい」
舟が対岸へ着くまくまで左岸で手をふっていた。
昨夜は、母・佐千に許され、盃に盛ったざらめ雪にかけた辛口酒〔城山(じょうざん)〕を何杯呑んだろう。
はやばやと酔いつぷれ、寝床でのびた。
さすがに若さと酒造りの家の子である、朝には宿酔(ふつかよい)もしていなかった。
藤太郎が眠るとすぐ、佐千は湯殿で躰を清め、浴衣を羽織っただけのまま居室の布団の中で平蔵を待っていた。
信濃川左岸から右岸へは渡し舟に乗った。
佐千からにぎらされた紙片を舟中でひらいてみた。
長岡城の大手門からまっすぐに西へのびた筋に〔大手どおり〕と記し、それに十字に交差させた道筋の北側の左側に黒丸をおき、〔表(おもて)三之町〕と入れ、旅館〔ますや四郎べえ〕。
〔備前屋〕となにかのかかわりがあり、自由がきくのであろう、昨日の夕刻に使いをだしたといっていた。
右岸の舟着きから長岡城下までは2里30丁(11km)。
長岡から江戸は76里(304km)。
譜代・牧野家がつくりあげた城下町であった。
いまの藩主はこの春、奏者番に任じられた牧野駿河守忠精(ただきよ 22歳 7万4000石)で、英邁の風聞が高い。
〔ますや四郎兵衛〕方に旅装を解くと、松造(よしぞう 30歳)を長岡城中の盗賊奉行・稲垣主膳(しゅぜん 40歳)のところへ、幕府・火盗改メの贄(にえ) 越前守正寿(まさとし 41歳)の添え状をを持たせ、訪問の応否を訊かせにやった。
平蔵は着流しでぶらりと出、寺がかたまっている渡里(わたり)町の花屋の中から老婆をえらび、花を買い、過分の金子をにぎらせ、男女が密会できる気のきいた宿を聞き出した。
「そら、お武家さん、そこの願浄寺さんの横手に、〔橘(たちばな)〕と、小さな雪洞(ぼんぼり)を掲げたお家がそれさ。懐の暖かい大店の後家さんたちが使っているってことだによ」
訪ねると、昼間から女中がいそがしげに働いていた。
庭に面した離れを六ッ(午後6時)から一夜ということで先払いをすませ、花を部屋へ飾っておくように頼んだ。
稲垣盗賊奉行はお待ちしているとの返答であった。
衣服を改めて参上した。
稲垣奉行は、家老の家につながる仁で、たあいもない自慢話を長々としゃぺったすえ、
「明和9年(1772)の大火では、西ノ久保の上屋敷も愛宕下の中屋敷も類焼し、再建に難儀をしての」
そのときに放火犯を挙げた長谷川備中守宣雄(のぶお)の名は、ついにでなかった。
与板藩に何用できたかも訊かれなかった。
明日の夕餉(ゆうげ)をともにするつもりでいた平蔵であったが、無駄だとおもった。
「盗賊お奉行はお2人とお聞きしておりましたが---」
「激務ゆえ、1ヶ月交替で当番しておっての」
うれしそうに応じた。
帰ると、
「〔備前屋〕さんがお着きになっておられます」
番頭が告げた。
「噂になると、佐千どのの風評に傷がつくから、夜は口実をもうけ、知人のところへ話しに行く。もしかしたら、そちらで泊まるやもしれないと、従者、旅館へことわり、願浄寺さんの横手の〔橘(たちばな)〕へ、初瀬(はつせ)を訪ねて六ッ(午後6時)にお越しあれ」
略図つきの文を松蔵にとどけさせた。
江戸の里貴(りき 37歳)あて、問屋場で飛脚をたてた。
「8日後の11月2日の七ッ(午後4時)には、蕨宿の本町通りの旅籠〔林〕源兵衛方に着いていよう」
(こんなこととは、もう縁切りにしなくてはな---)
胸のうちでのそのつぶやきが、佐千とのことなのか里貴とのことなのかは、ちゅうすけには分別がつかない。
【参照】2011年3月5日~[与市へのたび] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (11) (12) (13) (14) (16) (17) (18) (19)
| 固定リンク
「017幕閣」カテゴリの記事
- 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(4)(2010.10.19)
- 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(2010.10.16)
- 本城・西丸の2人の少老(6)(2012.05.07)
- 本城・西丸の2人の少老(5)(2012.05.06)
- 本城・西丸の2人の少老(4)(2012.05.05)
コメント
平蔵と藤太郎の男同士の友情は、どう展開するか興味津々。小柄を打って交わした約定、黒川の黒い小石の餞別---いつか、みごとに実をむすびそう。そう、いつか。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.03.19 05:46
>文くばりの丈太さん
春になったら上府するといっていた藤太郎ですが、14歳で江戸へ独り旅で来れましょうか。
6年後、平蔵は火盗改メです。そのときは藤太郎は20歳。りっぱな成人。再会はそのあたりかなあ。
投稿: ちゅうすけ | 2011.03.19 14:21