与板への旅(8)
(拒めるか。いや、拒めまい。与板侯の笑いものになりそうだ)
布団の中で、平蔵(へいぞう 36歳)は、われにもなく躰を硬くし、薄目でうかがっていた。
ふすまの開き口に立っていたのは、寝衣の襟元を乱した佐千(さち 34歳)であった。
白い乳房がこぼれきっていた。
佐千は、踏みだそうか、とどまろうか、逡巡していた。
また、樹々が風に鳴った。
その音が、佐千を正気にもどしたらしい。
ため息がもれ、襖が閉まった。
(助かった)
平蔵の実感であった。
苦笑しながら、これまでに抱いたおんなの数を指を折っていた。
久栄(ひさえ 27歳)をいれると、10指にあまったが、しっかりと触感がよみがえったのは、なんと、14歳のときの初体験をさせてくれた芙佐(ふさ 25歳)と、6夜前に2夜をすごしばかり、透きとおるほどの肌を胸元から淡い桜色に染めやまなかった里貴(りき 37歳)であった。
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
(抱きあっているときは、たしかにそこに入り、力み、燃え、襞の粘りまで実感していたのに、いまとなっては虚妄のようだ)
明宵、裸身の佐千が横に入り、脚をからませてきたら、拒めまい。
与板藩の役人に申しで、宿を変えてもらうか。
それでは佐千、ひいては〔備前屋〕に恥をかかすことになろう。
そのことは、西丸・若年寄の井伊侯(兵部少輔直朗 なおあきら 35歳 与板藩主 2万石)の耳にでも入れば---。
そのことより藤太郎(とうたろう 13歳)が噂をしれば、こころに大きな傷をもとう。
(困った)
(待て)
藩の依頼で泊めた客人の何人かに、佐千が今夜のような所作におよんでいたら、とっくに領内の噂になっていたろう。
(すると、おれのどこかから、おんなに弱い匂いがにじみでていたことになる。蕨宿で2夜をすごした里貴の秘所の香気がどこかにのこっていたか?)
おもいいたり、おもわず、起きあがった。
与板への冬の訪(おとな)いは、さすがに早い。
夜気の冷気に身ぶるいし、布団をかぶった。
(佐千が脱ぎ場からもちさった下帯は、もしかしたら、蕨宿を発(た)つ朝に着したものかもしれない。
あの夜は、明け方まで里貴と睦んでいた。
そのまま、下帯をつけた。
もちろん、次の次の宿で洗いはしたが、早発ちだったから洗いが足りなかった---それで、佐千の鼻が嗅ぎとった---。
(馬鹿も休み休みにしろ。そんな詮索のために与板くんだりまできたのではあるまい)
報じているちゅうすけのほうが、あきれている。
独りよがりもいい加減にしてくれ、平蔵どん。
それが、お前さんの悪いくせなんだよ。
捕り物に徹しなって。
【参照】201135~[与市への旅] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (9) ((10)) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
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