与板への旅(19)
「木挽町(こびきちょう)の殿が、与板侯と内室さまをお招きになったのですよ」
早めの夕餉(ゆうげ)の場で、ゆ文字をはずした浴衣姿に片立て膝の里貴(りき 37歳)が、向いの平蔵(へいぞう 36歳)に酒を注ぎながら告げた。
〔木挽町の殿〕とは、老中・田沼主殿頭意次(おきつぐ 63歳 相良藩主 4万7000石)がことである。
与板侯は、解説するまでもなく、井伊兵部少輔直朗(なおあきら 35歳 西丸若年寄 越後・与板藩主 2万石)、その内室は意次の四女で於郷(さと 31歳)。
内室の名は、田沼家がまだ本郷・弓町にあったころに側室が生んだので、本郷にあやかってつけられた。
直朗とのあいだに一男一女をもうけたが、万千代(まんちよ)は早逝していた。
(そうか、それで、先刻、湯殿で〔備前屋〕の名をあげたな)
妬(や)きごころからと勘ぐり、対抗心をたしなめるつもりで、おもわず言わでもがな佐千(さち 34歳)のことを洩らしてしまったのは、勇み足であった。
しかし、平蔵のためによかれと、意次に、与板侯夫妻を〔季四〕に招くように算段したのは、木挽町の中屋敷の侍女・佳慈(かじ 31歳)に働きかけたのであろう。
「淫らな打ちあけ話をするからこそ、おんな同士はこころがひらかれるのです」
と佳慈はいったが、こんどはどんな寝屋話をしたことやら。
(まさか、背向け騎上位のことまでは洩らしておるまいな)
【参照】2011年2月24日[豊千代(家斉 いえなり)ぞなえ] (10)
おんなに恥をかかすものではないと決めている平蔵は、相手がその気を示したら、うけ容(い)れてきた。
佐千も求めてきた。
しかし、そのことを里貴にいっても、素直には認めてはくれまい。
「与板侯のところで進めていた、冷害に強い稲の交配はどうなったか、聞いたかな?」
久しぶりに会ったときの性的な昂ぶりがおさまり、床入りまでは平静でいるようにうかがえたので、訊いてみた。
「あら、銕(てつ)さまは、現地へいらっしゃったのではなかったのですか? 藩の陣屋とか郡奉行にはお会いならないで、ずっと、〔備前屋〕の後家さまとべったりだったのでございますか?」
「われの役目は、盗賊たちを与板領内から追いだすことであった。そのために動いていた」
「しばらく抱いていただけなかったので、つい、こころにもない愚痴を洩らしてしまいました。こころではなく、躰が洩らしたのです。銕さまを待ちこがれていたこの躰に免じて、お許しください」
手招きすると、膳を移し、寄ってき、骨がないみたいによくしなる躰をあずけた。
互いの躰の匂いをたしかめあってから、手早く食事を終え、酒のお代わりをいいつけ、布団へ入った。
「どれほど待ちわびていたか、お確かめください」
「先日、茶寮のほうを2夜も空(あ)けて、大事なかったのか?」
「2夜が3夜になっても大事ありません」
【参照】2011年3月5日~[与板への旅] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18)
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