松代への旅(22)
その宵---。
夕餉(ゆうげ)の席に平蔵(へいぞう 35歳)は店主・加兵衛(かへえ 30歳)を呼んだ。
自分の家での供応なのに加兵衛は恐縮し、すこし下がって小さくかしこまっている。
それなのに内儀のお楽(らく 27歳)は、平蔵の脇になおり、盃を差しだして酌をねだっていた。
こころえている平蔵はお楽の色香を無視し、加兵衛に話しかけた。
「〔奈良井屋〕どの。酒造方は別として、地京原村の清兵衛(せえべえ 50がらみ)父子に対する町方の気持ちはどんなものかな」
ちらっとお楽を見てから応えた。
「大店(おおだな)のお歴々は藩庁とのお取引きもあり、思惑もいろいろとございましょうから、藩治にはお従いになります」
「あら、うちだって大店の一軒よ」
お楽が口をはさむと、加兵衛は黙ってしまった。
「お楽どのは、幕府もすでに廃しておる水牢(みずろう)が残されていることを、どうおおもいかな?」
平蔵の双眸(ひとみ)の奥をさぐるように瞶(みつめ) 、
「それだけの罪をおかしたものが悪いのではありませんか?」
「なるほど、その考え方もあるな」
「ほかに、どういう見方があるのですか?」
「強訴(ごうそ)のための一揆は、打ちこわしとか盗みとは違う。だれにも害をおよぼしてはいない。ただ仕置き(しおき 政治)衆への示威でしかない」
「それが大変な罪なのではございませんか。うちなんかでも、奉公人たちが結束して給金上げや年季の短縮をいってきたら店をやめさせます」
「やめさせることと、水牢に入れて苦しめることとは天と地ほどにへだたっておるようにおもうが---」
「店をやめさせられれば、たちまち路頭に迷います」
「乞食をしても人は生きておれよう」
「そんな生き方をするくらいなら、死んだほうがまし---」
「お楽どのはめぐまれておるから、いまはそのようにいえる--」
平蔵が酒をすすめた。
向こうでは、松造(よしぞう 35歳)が加兵衛に酌をしていた。
飲みおえたお楽が、大鉢にもられた雪のざらめを指でじかにつまんで盃に移して平蔵へ捧げ、酌をし、すぐに返杯を求めた。
平蔵が口をつけた縁から呑んだが気づかぬふりをしていると、わざと紅をつけて返し、含み笑いをしながら徳利から注ぎ、平蔵の手を下から支えながら、ざらめ雪をたした。
「松造」
呼び、寄ってくると盃を持たせ、
「ちょっと、お楽どののお相手をしていてくれ。われは加兵衛どのと話しがある」
席を立った。
加兵衛になにごとかささやき、2人で部屋をはずした。
のこされた座敷では、こころえた松造がしきりにお楽に注いでやり、自分もあほった。
「お武家がなんだっていうんよ。お金の力にたちまちひれ伏すくせに---」
「ご内儀のいうとおりだが、中には骨っぽいお武家もいるから、そう、見捨てたもんでもないよ」
肩をだかんばかりにしてなだめている。
灯を落とした帳場では、
「〔奈良井屋〕どの。藩の町奉行の薄田(すすきだ)(彦十郎 ひこじゅうろう 52歳)どののお人柄は?」
「温厚なお方とお聴きしております」
「勝手(経済)のことはお分かりか?」
「町方にお選ばれになっておりますから---」
「よし。明日、お会いしてみよう」
「どうなさいますので---?」
「路銀を返し、この用務を辞退するだけよ」
「------」
「案ずるでない。〔奈良井屋〕にはいささかの迷惑もおよばないようにする。加兵衛どのの立場はようわかっておるつもりだ。それよりも、ご内儀をもっと可愛がっておやり---」
「むつかしいことをおっしゃいます」
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コメント
驚いているのは、ちゅうすけさんの意思の強さです。
余命を宣告されれば、たいていの人は落ち込み、文章にもそれが影響してくるものと思うのに、ちゅうすけさんはまるで変わらない。どういう精神操作をなさっているのですかね。まるで鬼平の再来みたい。
投稿: 文くばりの丈太 | 2012.02.10 05:29
>文くばり丈太 さん
たとえ、お世辞でもうれしいお言葉を、ありがとうございます。
じつは、きょう、病院で、余命2ヶ月たらずと宣告されました。4ヶ月も早まり、呆然としています。たぶん、ブログを書けるのも10日あるかなしの模様です。
身辺整理のあいまのブログ書きですから。
これからが本物かメッキかが問われます。
投稿: ちゅうすけ | 2012.02.10 17:44