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2012.02.09

松代への旅(21)

犀川の南岸・丹波島の酒造り所〔生坂(いくさか)屋〕岩蔵(いわぞう 50歳)に賊がいいつたけたという、
「地京原村のおとな・清兵衛(せえべい 50がらみ)父子を出牢させるように藩庁に訴えよ」
このことを考えていた。

その前に押し入った中御所の〔千曲(ちくま)屋〕では一言も声を発していない。
訛りから身元がわれることを恐れた、よく鍛えられた盗賊団ぶりであった。
(引きこみ)も入れ、たくみに脱(の)がしていた。

それが、7日目には一変し 堂々と〔生坂屋〕岩蔵を脅している。
異なった盗賊一味であろうか?

いや、先に聴きとりをおこなった町奉行所は3件とも同じ盗賊団と断じ、わざわざ平蔵(へいぞう 40歳)の助(す)けを求めた。

奉行所の探索に手ぬかりがあったのか。
そうではあるまい。
松代藩は真田家のものである。

武田方の時代から真田家には諜報に長じた知恵者が少なくなかったはずである。
信玄が用いた軒猿(のきざる 隠密)の徒も、その大半が真田で育てられた地の者であったと、お(りょう 享年33歳)が寝物語に打ちあけてくれたことがあった。

しかし、中御所の〔千曲屋〕は前々から仕込んでいたあざやかな仕事(つとめ)であったろうに、宝船の雛形をのこすことをおもいとどまったのは、狙いがつとめではなく、清兵衛父子の出牢に変わったためであろう。
船影ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 40代半ば)ときめたわけではないが---)

すべては明日、西寺尾の〔坂屋〕三郎兵衛(さぶろうべえ)方の聴きとりでいくらかは分明するであろう。

割りきったところへ、町奉行所の同心・駒井恭之進 (きょうのしん 34歳)がいささか引きしまった表情であらわれた。
「どうであったかの?」
「そのことよりも、今朝未明、紺屋町の酒蔵〔藤沢屋〕与四郎(よしろう)方に賊が押しいり、家の者と奉公人全員をしばりあげ、清兵衛父子を釈放しないと、次には殺傷も容赦しないといって去ったそうです」

「ついに殺傷を宣言したか---?」
「ついに---とは?」
「これまでの蔵元、藩の出方が手ぬるいと断じたのでしょうよ」
「では、藩が清兵衛親子の釈放を決めるまで、蔵元を襲うつもりでしょうか?」
「たぶん---」
「藩が酒造所の警護を堅:めても---?」

「隙はかならずあるものです。警護を堅くし網をはっていても隙をつかれると、それだけで城下のうわさになり、真田右京太夫幸弘 ゆきひろ 46歳 松代藩主)侯の面目がつぶれましょう」
「領内の蔵元は7軒ばかりです。きびしく警護できます」

「われが賊であれば、上田藩(5万3000石)、高遠藩(3万3000石)、松本藩(6万石)内などのまわりの酒蔵を襲い、松代藩の手際が悪いことを喧伝しますな」
「あっ---」

「ご当藩が上田、高遠藩、松本藩に警備をご依頼になれば、小諸藩(1万5000石)、須坂藩(1万5000石)、田野口藩(1万6000石)、諏訪藩(3万2000石)の城下を狙うだけのことです。右京太夫幸弘侯の恥をひろめればいいだけのことですから」

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コメント

池波さんの「真田騒動ー恩田木工」を再読しております。これによると、真田幸弘は名君であったようですね。展開が楽しみです。

投稿: 安池 | 2012.02.09 16:28

>安池 さん
おっしゃるとおり、池波さんの「真田騒動ー恩田木工」は、真田幸弘を名君として描いています。たぶん、木工の書といわれる「日暮硯」が下敷きでしょう。「日暮硯」は、大正時代から心ある人たちによって読み継がれていましたが、池波さんの「真田騒動ー恩田木工」で一気に注目を集めました。岩波文庫もでました。
池波ファンなら「真田騒動ー恩田木工」はお読みでしょうから、今回はあえて、木工には触れないでおきました。

投稿: ちゅうすけ | 2012.02.10 17:38

有難うございます。「日暮硯」読んでみます。

投稿: 安池欣一 | 2012.02.10 19:42

>安池 さん
「日暮硯」は短い物語ですが、木工のお人柄がよくでていますから、きっと、ご興味を引くでしょう。

投稿: ちゅうすけ | 2012.02.11 19:26

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