松代への旅(11)
夕餉(ゆうげ)は六ッ(午後6時)まえ、松造(よしぞう 35歳)が湯からあがったところで、平蔵(へいぞう 40歳)の部屋へ集まり、酒となった。
肴は蓮根のめずらしい酢煮。
白く煮あがっている一片をつまんだ平蔵が、
「蓮根はどこで採れるのかな」
「お城のしのぶ池です」
「甘露だ」
女中が、あとをお江(こう 18歳)にまかせて出ていった。
3人とも、宿の浴衣であったが、平蔵も松造も夕立をかぶった髷を洗ったので手拭をまいていた。
お江はさすがに女性(にょしょう)らしく、洗い髪を束ねる色鮮やかな布を携行してい、浴衣の帯に身代りの赤いお守りをぶらさげていた。
平蔵にはそれがいとおしかった。
明朝六ッ半(午前七時)前には、それぞれ髪結いがくることになっている。
着ていたのは単衣(ひとえ)だから朝までには乾き、火熨斗(ひのし)をあててくれるように女中頭にたのんであった。
着物はともかく、濡れたままの袴はたたむことができなかったのである。
「お江。2年前の浅間の山焼けのときはどうであったの?」
「私は16歳でしたが、浦和のあたりにも米粒ほどの灰が降ってき、2分(6mm)ほどもつもりました。このあたりは浅間寄りなので、もっとひどかったのではないですか? 深谷宿(ふかや しゅく)の〔延命(えんめい)〕の伝八(でんぱち 38歳)元締)が去年立ちよんなさったときの話では、深谷あたりには米粒の倍ほどのが降ったそうです」
〔延命〕の通り名は、深谷宿の手前の臨済宗・常興山普済寺の境内の延命地蔵尊からとっているらしい。
いける口らしく、酌をしてやると躊躇しないで受けた。
平蔵の倍近く呑んだろう。
酔いがすこしまわったらしく、飯膳がきたときには衿元がかなりひらき、平蔵の側から乳頭がのぞけた。
「それでは、明日は深谷泊まりということにし、〔延命〕の元締にあいさつしておこう」
「そうしてくださると、〔化粧(けわい)読みうり〕の話もできます」
寝床に伏せていると、足音をしのばせ、おんな用の箱枕をかかえたお江が入ってきた。
「添い寝をさせて---」
薄い上布団をあけてやると左側に添い、横伏せで平蔵に対した。
束ねをとってしまっていたので長い髪が後ろにひろがった。
仰向いたまま、
「父親とむすめが共寝をしているとおもっていよ」
左腕を箱まくらと首のあいだに差しいれ、うなじを抱いた。
躰をすり寄せ、衿をひらいて乳房を脇腹へつけた。
「このまま眠るのだ」
お江の唇が耳たぶを噛んだ。
さすがに、男のものには触れてこなかった。
そこまでの経験がなかったのだ。
平蔵の胸に左腕をおいたまま、寝息を立てはじめた。
夜中に夢ごこちで左足を平蔵の足にのせ、下のものをつけていない秘部を太腿iにすりつけたことも、覚えていなかった。
ひきしまって形のいいお江の足をおもいだしただけで、感じてきた。
そのまま動かずにいると、平蔵のものは、やがて平静に復した。
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