松代への旅(18)
その夜中、うなされた平蔵(へいぞう 40歳)は起きた。
水牢に立ち尽くしている地京原村のおとな・清兵衛(せえべえ 50がらみ)が、痩せおとろえた躰をもむように、
「清助はこれから村につくす若さをもっております。どうぞ、あ;れをお助けください」
平蔵を拝んだのである。
清兵衛は一揆の発頭人であるから水牢はともかくとして、極刑になってもいたしかたはない。
しかし、幕府は吉宗のころから、罪を親族にまでおよぼすことをやめていた。
〔奈良井屋}の店主・加兵衛(かへえ 30歳)によると、一揆に加担した地京原、伊折、念仏寺、奈良井、長井、加佐井、小根山、上野、冬木、山上条、水内、吉原、岩草の13ヶ村から21名の主だった者が召し捕らえられたが、清兵衛親子のほかは解きはなたれ、それぞれ帰村したという。
そもそも、一揆は藩治に対しての批判はかかげていなかった。
2年前の浅間山の山焼けによる降灰で、米や蕎麦はいうにおよばず、綿花、煙草、桑の葉や杏(あんず)まで手ひどい被害をこうむり、さにら去年の長雨による不作が追いうちをかけた。
どの村も川ぞいで山あいの狭い土地を切り拓(ひら)いての耕作であったから、長雨はこたえた。
松代や善光寺で酒造りの富裕な家から、今年や来年の酒米を抵当にいれ高利の金銭を借りてしのいだ者が多かった。
その高利を並みの低利にしてほしいとの訴えを藩に求めた騒じょうといえたかもしれない。
もちろん、これは表向きの名目であったが---。
(清兵衛としても、藩の隙をついたつもりであったろう)
しかし、一揆は一揆である。
藩とすれば、首謀者を処分した形をとらないと、幕府にいいわけが立たないばかりか、藩治の不行きとどきということで改易されかねない。
【ちゅうすけ備考】13ヶ村で動員された1万500人という数には疑念がある。
1ヶ村に500人がやっとという山村であったろうから、子どもまで集めても半分の6000人でも多すぎよう。
しかし、藩の記録には1万500人が赤坂で対峙し、藩の役人と交渉したとある。
朝になり、町奉行所から駒井恭之進(きょうのしん 34歳)が案内役兼見張り人として、まず裾花川ぞいで北国街道に面している酒蔵〔千曲屋〕金右衛門方を訪ねた。
最初に襲われた酒造家であった。
賊の侵入の手口を訊いた。
表のくぐり戸からだと応え
「大戸を下ろしたとき、桟はきちんと落としていましたから、中の者が手引きしたとしかかんがえられないのでごけざいます」
番頭は、事件のあとに消えた飯炊き爺ぃの三平(さんぺい) 59歳)が怪しいとそえた。
引き込み役と察したがそのことには触れず、
「西山の農家へ貸している金利はいかほどかの?」
番頭は駒井同心をうかがったが、横をむいたまま応じられなかったので、悪びれるふうもなく、
「複利で年4割です」
「暴利だな。江戸での蔵宿でももっとも高いところで3割だ。しかし、ご公儀が許しているのはそのは半分の1割5分まででな」
(なんで、われはいわでもがなのことをいっておるのか?)
平蔵は、懇意にしている諏訪町の札差し・〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(せえべえ 40前)の穏和な顔をおもいうかべた。
水牢に押しこまれている一揆の発頭人と、たまたま同名であることに感傷をおぼえた。
【参照】2011年9月21日~[札差・〔東金屋〕清兵衛] (1) (2) (3) (4)
2011年9月29日~[西丸・徒(かち)3の組] (1) (2 (3) (4) (5)
ひきかえ、番頭の顔からは強欲という字の塊から饐(す)えたきつい臭みを発していた。
「引きあげるときもくぐり戸からか?」
「さようです」
番頭は反発するような口調になっていた。
「怪我人も犯されたおなごもいなかっのだな」
「さようです」
「賊たちの言葉になまりはなかったか?」
j町奉行所の同心からは訊かれなかったことを訊かれた番頭は初めて、平蔵が並みの役人でないことを悟ったようであった。
「どいつも一口も口をききませんで、じつに手馴れた感じでございました」
「あと三つだけ訊く。盗み装束を着ていたとおもうが、裏地の色と模様は---?」
「気づきませんでございました」
「気づいたおなご衆がいるかもしれない。あとで駒井同心どのへとどけおくように。次は首領らしき男も覆面をしていたろうが瞼は一重であっか、それとも二重であったか? それと袖からでていた手首から先で目印になるようなものを覚えている者がいたら、これもとどげけるように。最後は賊たちは草鞋(わらじ)ばきのままで座敷にあがっていたろうが、草鞋に目についた特徴があったかいなか」
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コメント
瞼の一重・二重? 草鞋の特徴? そんなものが盗賊探索の手がかりになるのでしょうか? でもなんとか、手柄をたてて、水牢の清兵衛親子を救出してほしいものです。
投稿: 安池 | 2012.02.06 09:22
>安池 さん
おっしゃるとおりです。人相書きに書かれてので、松代藩の町奉行をそれとなく指導したのが一つ。
それと、〔舟影〕の忠兵衛への警告てしょう。〔舟影〕側も、江戸から平蔵がわざわざ出張ってきていることは、仁三郎、あるいは〔蓑火〕の喜之助あたりから早飛脚が忠兵衛にとどいていましょう。
それで、忠兵衛側も平蔵の動きをさぐっています。それに対する、平蔵の一種のジェスチュアです。
忠兵衛の目的が清兵衛の水牢からの助けにあるのですから、それを果たしてやればいいわけです。
投稿: ちゅうすけ | 2012.02.07 05:39