西丸・徒(かち)3の組
その日。
「これだけか---?」
五ッ(午前8時)をまわって、平蔵(へいぞう 40歳)がつぶやいた。
西丸・徒(かち)3の組は、30人全員が内堀の南西端に立つ伏見二重櫓下の広間に集まることになっていたのであった。
ところが定刻になっても6人が顔を見せなかった。
2人の与(くみ)頭のうち、齢かさのほうの黒石六右衛門(49歳)が、いいにくそうに、
「組内に悪い風邪がはやっておりまして---」
にやりと笑みをこぼした平蔵が、
「おおかた、蔵前(くらまえ)あたりで感染(うつ)された風邪であろうよ」
しかし、徒士衆は笑わなかった。
徒士衆の俸給は70俵5人扶持---平常時であれば、廩米1俵(3斗5升入り)は知行地の1石に相当するといわれ、1石は1両(16万円)に見積もって、70俵=(16万円×70=1,120万円)。
5人扶持の1人扶持は、1日あたり玄米5合だから、5合×5人×365日=9.125合
9石1斗2升5合。
これを3斗5升で除すると、26俵。
舂(つ)き減りを15%とみると、ざっと22俵=22両(352万円)
合わせて1,472万円。
御徒町の家は官舎だが、修繕費だけ持てばいい。
5人家族で下男下女を3人雇っていたとして、年1,472万円でやっていけないはずはないとおもうのは現代人の計算であろう。
幕府直轄領内が不作であれば、その減収に応じて支給が減らされることもあったろう。
豊年であれば米価も下がり、1俵16万円より下まわる。
隠居した両親も共棲だから、病人がでれば薬代もばかにならない。
一家3代共棲ですめばいいが、次男3男に養子口がかからなければ居候である。
女の子の嫁入りには持参金をつけなければならない。
なにやかやで、つい、蔵宿から前借りをする。
借金は雪達磨づくりといっしょで、ころがれば太る。
一家で傘張り、提張り、下駄の鼻緒縫い、金魚の飼育や朝顔の栽培の内職は、御徒町の名物であった。
(徒士衆の内職 傘張り 『風俗画報』 塗り絵師:ちゅうすけ)
「集まってもらったのは、ほかでもない。頭(かしら)として組の徒士衆の実情をつかんでおくのもご奉公のうちである」
扶持をうけた年月日、家族の頭数と年齢と病人の有無、蔵前の札差の店名と借金の金額、やっている内職の種類とおろし元などを提出してくれと頼んだ。
「もちろん、借金の額がわかっても、われが肩代わりすることはできぬが、お上に棒引きの陳情はしてみる。もっともあてにならぬことぐらいは、おのおの方も存じておろう」
この時には、組の徒士衆も力なく笑った。
しかし、平蔵が消えてから、
「なかなかに話がわかっておる、親分だぜ」
「なんだか、あてにできそうだ」
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