駿馬・月魄(つきしろ)(4)
「そういえば、先代さまはこんなこともおっしゃいました」
酒がはいると、梅次(うめじ 36歳)は宣雄(のぶお 享年55歳)の言葉をつぎつぎにおもいだした。
長谷川邸から1丁(100m余)もない菊川橋西詰の酒亭〔ひさご〕である。
奉公人の手前、馬丁の幸吉(こうきち 20歳)やかつて若党だった梅次を客間へあげて呑ますわけにはいかなかった。
{ほう---?」
「馬の命は脚であるが、もっとも傷めやすいのも脚である」
「なるほど---」
「だから、日に3度でも5度でも、脚を診よ。で、いささかでも熱っぽければ、休養させてやれ」
さらに、足首に当て布をまいておいてやると、自分の足で自分の足首をけって傷(いた)めることも防いでやれる。
また、半円に曲がった馬場の馬道を速駆(はやが)けで廻らないこと。
馬の脚の骨は真っすぐの道を走るようにできている、それを速駆けで曲がらせられると、脚の寿命をけずることになる。
「しかし、江戸の馬場はみんな円くj曲がっておる。帰ったら、辰蔵にいいつけておこう」
常足(なみあし)で2丁歩くいたら、つぎの2丁は駆足(かけあし)、常足-駆足-常足-駆足のくりかえしを半刻(はんとき 1時間)近くやらせたら休ませ、水を5口ほど飲ませてやる。山の手では井戸水がよい。
(高田の馬場 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
「父上は、どこでそのような調練法を会得されたのであろう?」
「なんでも、長崎のオランダ人が江戸へきた時に、医師たちにまじってお聴きになったとか、うかがいましたが---」
「そうか、オランダ流か」
月魄は、冬毛から夏毛に着替えたころには、たくましい駿馬になっていた。
非番の日に葛西の牧場へ連れていって放牧した時には、群れのなかでもすぐに一群の主将格におさまっていた。
馬同士、月魄の賢さに一目置いた感じで、平蔵はわがことのように誇らしく、安心して7日間預けた。
戻ってきた月魄に乗った月輪尼(がちりんに 24歳)が、
「月魄はん、変わらはりましたね」
「どう、変わりましたか?」
「乗ってて、伝わってきよりますん。あんじょう自信をつけはったいうたらええのやろか、仏道でいうたら、悟らはった、いうのんですやろなあ、澄みきりはりました」
「いまの尼どののお言葉、聞かせてやったら、よろこぶでしょう」
「乗ってて、うちまでうれしゅうなってきよりますん」
(この尼どのの感性は柔らかい。辰蔵が満足させられればいいが---)
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コメント
この4日間の、平蔵の月魄(つきしろ)への配慮は、慈愛に満ちていますね。
いつくしみの心の深さを感じます。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.09.28 09:23
江戸時代といわず、昭和の12,3年ごろまで、地方都市では馬は日常に接する動物でした。
ロンドンではいまだに騎馬儀仗兵を見かけます。馬への心づかいも繊細だったようです。
いま、馬に出会うのは、なんとか記念競馬の走りぶりをテレビで見るくらいになってしまいました。なさけないです。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.28 15:30