駿馬・月魄(つきしろ)(3)
「桑島。火盗改メに就かれた父上の口とりをしていた若党---なんと申したかな?」
平蔵(へいぞう 40歳)が用人の桑島友之助(とものすけ 53歳)に問いかけた。
「いま、どこで勤めているか、わかるか?」
亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)が火盗改メ・助役(すけやく)に指名されたのは、いまから14年前の明和8年(1771)10月17日であった。
その年の麻布十番の馬市で宣雄(41歳=当時)は若駒を求めた。
長谷川家にはじめてきたその牝(めす)馬は、宣雄の亡母の牟祢(むね)からとって小牟祢(こむね)と名づけられた。
宣雄が小牟祢にまたがってはじめての夜の見廻りにでかけた時、26歳で出仕前の銕三郎(てつさぶろう)も供をした。
【参照】2009年6月19日[宣雄、火盗改メ拝命] (6)
「父上のことだ、厩舎のくさぐさについて梅次に指示されていたとおもう。それを幸吉(こうきち 20歳 )へ口授してもらえれば上乗とおもってな」
「さっそくに、梅次の裏書き(保証)をした口入屋をあたってみます」
宣雄が京都西町奉行に栄転したとき、留守宅の三ノ橋通りの厩舎は閉鎖され、宣雄を乗せて東海道をのぼった小牟祢は京都で手放なささるをえなかった。
奉行所に公用の馬が飼われていたからである。
なにごとにも手堅かった宣雄は、控えの馬具を厩舎にのこしていた。
鞍は、月魄(つきしろ)の脊とのあいだに毛氈をおくと間にあった。
幸吉には、
「鞍ずれに気をつけよ。ちらっとでも見つけたら、鞍のほうを調整にだせ。鞍ずれは馬に不快感をあたえ、ひいては飼い主を信頼しなくなる」
平蔵があらたにしたことは、月魄用の綿入れで刺し子の大上布づくりを命じたことくらいであった。
2日後には、梅次(36歳)が顔を見せた。
「ご無沙汰ばかりで申しわけございません」
「無音はお互いさまだ。見たところ、きちんと勤めておるようで祝着至極---」
辰蔵たつぞう 15歳)を伴い、厩舎で幸吉をはさみ、亡父・宣雄の飼育法を話させた。
「先代さまのお教えで、いっち大事なのは、自分が楽しむのではない。小牟祢が楽しむようにしてやれ---でございました」
「そうか。辰蔵、月魄が楽しんでおるかどうかを、つねに気にかけよ。それには月魄の表情を読みとることである」
「はい」
「今宵から10夜、月輪尼(がちりんに 25歳)の見えぬ日は、月魄とともに寝よ」
「はい」
「先代さまはこうもおっしゃいました。人間ばかり見ていては小牟祢も気づかれしてしまおう。ときどき、牧場へ放し、馬は馬同士で遊ばせてやれ」
「うむ。馬同士、競わすのじゃな」
「生きた牧草も食べられます」
「幸吉。そちが寺崎村で馬にしたしんでいたことは充分に承知しておるが、わが家にはわが家の家風といったものがある。月魄は、長谷川家の一員として、家風どおりに育ててくれ」
「へい。承知いたしましたでございます」
「これから、月の5の日には、われが乗って登城し、月魄にお城と侍と江戸の町というものを覚えさせよう」
月魄が惚れ惚れとした馬づらで平蔵を瞶(みつめ)ていた。
牝(めす)馬の小牟祢だったら、平蔵に抱きついてきたかもしれない。
(采女ヶ原の馬場 『江名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
無意識に5の日を選んだが、若かったころ、お仲(なか 33歳=当時)との合褥の夜が5の日であった。
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コメント
馬を飼うって、たいへんな気くばりが必要なんですね。もちろん、生き物ですから、人とおなじですものね。
それにしても、平蔵の---というより、宣雄の気のつかいようはすごい。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.09.27 05:55
>文くばりの丈太 さん
駿馬であればあるほど、手間がかかりましょう。
家族の一員とすればするほど気づかいもふえましょう。
まあ、その分、楽しみも増すでしょうから。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.27 08:59
馬の育て方にも家風があると言うことをこの間、遠野の曲がり屋を訪ねる番組で知りました。馬は家族と同じなのでその家の習慣に馴染むのだそうです。昔からそうだったんですね。
投稿: numapy | 2011.09.27 15:25
>numapy さん
そうですか、家風のことを番組でいつてましたか?
じつは、創作なんです。富士銀行の中吊リポスターで、サンペイさんに足でふすまをあけている女性の絵を描いてもらい「家風を大切に」とやったのです。これがサンペイさんと付き合いのはじまりで、あとを高木くんにふりましたから、ずいぶん昔のことです。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.27 16:18