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2011.11.24

月輪尼、改め、於敬(ゆき)(2)

「いかがでござろう---?」
平蔵(へいぞう 40歳)の問いかけに、永井家のおばば・伊佐(いさ 68歳)は、深い皺がきざまれている口元をもぐもぐさせ、
「わたいが17歳で三之丞安静 やすちか)どのに嫁いだときは、あちらはひとつ下の16歳でのう。初心(うぶ)なくせに元気だけは勇ましゅうて、とんでもないところを突いてこられて、おかしいやら、情けないやらで---」

(いかん、痴耄(ちもう)がはじまっておるようだ)

隣りの志乃(しの 47歳)があやまり、伊佐の耳元へ口を寄せ冷(さ)めた声で、
「姉上。お訊きなのは初めての晩のことではありませぬ。亀次郎安清 やすきよ 53歳)どのの意向です」

亀次郎? だから、あれは、やっとうまくいき、その晩に種づいたのよ。三之丞どのが放たれたときは、真冬だというに汗まみれであったわ。け、けけけけ」
初夜の房事でみごもったことが自慢であったらしい。

「その後は、まったく産めなかったくせに---」
志乃が小さくつぶやいた。
自分は、朝倉仁左衛門景増(かげます 享年61歳)の児を2人なしたことを誇りにおもっているらしかった。

参照】200年8月17日[与詩(よし)を迎えに] (18

もっとも、家女に産ませた2女を育てさせられたが---。

三之丞安静永井家の次男であった。
家は長男の助次郎治元(はるもと 享年23歳)が継いでいたが、病身で、いずれ、弟の三之丞が家督すると目算していたので、未嫁(みか)の助次郎をさしおき、伊佐が娶(めと)られた。
つまり、伊佐は部屋住みの三之丞に嫁(か)するという、当時としては異例の婚儀であった。

300坪に足りない屋敷は南本所林町5丁目横町にあり、長谷川邸からも朝倉家からも1丁半(160m)と離れていなかった。

亀次郎が誕生して2年後の12月に、助次郎治元は妻なし子なしのまま逝った。
三之丞安静に遺跡相続の許しが与えられた。
伊佐は、正式に400俵の幕臣の内室の地位にすわった。

遺跡を継いだ安静は、3年目、21歳で西丸・小姓組番士として出仕したが30歳になってすぐに命がつきる前の数年間は、病気休仕届けをだす期間が多かった。

一人っ子の亀次郎安清(やすきよ)に、53歳にいたるまで、出仕の呼び出しがなかったのは、病弱というよりいささか痴呆の気味があったためであろうと推察している。

それでも子どもだけは6人もなしているが、正室は娶っていない。

平蔵が着目したのは、そこであった。

「姉は、承知してくれているのです。ただ、亀次郎どのがのろはのろなりに金次第と申しておりまして---」
姉を見かぎった志乃が代弁した。
(それを聴くためのしゃも鍋でもあった)

平蔵は黙って志乃の目を瞶(みつめ)た。

_360
(安静・安清の「寛政譜」)

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006長谷川辰蔵 ・於敬(ゆき)」カテゴリの記事

コメント

今日の永井家の家譜をみて、盗賊・四方津の勘八がお染を橋場の石浜神明へ引き込みにいれたわけが納得できました。勘八は江戸での盗みの一つのつもりだったんでしょうが、お染の身状を知っている平蔵さんとすれば、於敬さんの人別を新しくするチャンスとみたのですね。
さすがにチエのかたまりのような平蔵さん、いろんな細片をつなげて大きな物語にしていくのですね。
しかも、幕府制作の家譜をつかっての工作ですから、みごとです。

投稿: tsu | 2011.11.24 05:39

>tsu さん
コメント、ありがとうございます。
永井亀次郎の名は、長谷川平蔵の家譜に興味をもった25年前からチェックしていました。辰蔵の内室を養女にしていた家ですから。
しかし、亀次郎の家譜に妻の実家がしるされていないことも疑問におもっていました。それらを考究していくうちに、月輪尼の存在が出てき、寺社奉行たちと知り合ったことで人別を変えることも可能となり、橋場の石浜神明とつながりました。
長谷川平蔵って、いろいろ、不思議なことを手がけているんですね。

投稿: ちゅうすけ | 2011.11.24 11:14

25年も前から、永井亀次郎に注目されていたんですか! すごい執着力ですね。あだやおろそかには読みとばせないブログとは感じていましたが。

投稿: tsu | 2011.11.24 11:20

>tsu さん
池波さんは原稿を編集者に渡すとき、その場で読ませ、「面白いかね?」と必ず訊いたそうです。
文章にもよりましょうが、このブログの場合も『鬼平犯科帳』と同じ(といってはおこがましいですが)、「面白いですか?」とお訊きするのがほんとうでしょうか?

投稿: ちゅうすけ | 2011.11.24 16:52

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