西丸・徒(かち)3の組(4)
「もう一つの、〔伊勢屋〕さんの件ですが---」
〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(せえべえ 40歳前)の顔は冴えなかった。
「おう、そのこと、そのこと」
「長谷川さまは、次の手で懲らしめる---とおっしゃいました」
【参照】2011年9月21日~[札差・東金屋清兵衛] (1) (2) (3) (4)
2011年9月30日[西丸・徒(かち)3の組] (2)
「言葉のあやだがな。しかし、お上へも届けずみの組合定行事(じょうぎょうじ)・〔東金屋〕どのの申しあわせを聞いたふりをするために、われが例にあげた同輩の長野佐左衛門孝祖(たかのり 40歳 600俵)とほかの何人かの証文を書き替えただけで口をぬぐっておるのは不届き千万---」
「そう仰せですが、金利は金貸し人にとっては命の次に大事なものでして---」
「そういう〔東金屋〕どのは、利よりも大義を大事にしておられる---」
「とんでもございません。手前も商い人(あきないびと)でございます。利と信用を命の次においておりますです」
「それはそれとして、〔伊勢屋〕次郎兵衛(じろべえ 48歳)が最も大切にしているものが命であることはわかった」
「長谷川さま、まさか---?」
「大事ない、案ずるな。〔伊勢屋〕が恐れているものは---?」
「それは申すまでもなく、お上---町奉行所。商人の生死をにぎっていらっしゃいます」
「お上の次には---?」
「お上、雷、火事、病い--と申します。つづきますのが、出水、旱魃、盗賊」
「盗賊---なあ」
平蔵は、久しぶりにかかわりあった5人のおんな賊---お静(しず 18歳=当時)、お竜(りょう 29歳=当時)、お豊(とよ 25歳=当時)、 お勝(かつ 31歳=当時)、お信(のぶ 36歳=当時)をおもいだしていた。
(よく、まあ、お城勤めができていることよ)
【参照】【参照】 [お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] (8) (9)
2009年7月17日~[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (8) (9) (10) (11)
2009年8月4日~[お勝、潜入] (1) (2) (3) (4)
2009年9月3日~[〔小浪(こなみ)〕のお信(のぶ)] (3) (4)
もし、〔伊勢屋〕次郎太郎の店へ忍びこみ、証文を盗んでくるとすると、策を立てるのはお竜として、引きこみ役は、お勝? お信?
『長谷川さま---」
清兵衛の呼びかけに平蔵はわれに返った。
「なにか---?」
「町奉行所にお知りあいはありませんか?」
「お町がどうかしたか? 火盗改メならしらぬわけ---そうだ、大物をしっておる」
「どなたでございますか?」
「南のお奉行の山村信濃守良旺(たかあきら 57歳 500石)どの---」
「すごい方とお知り合いなのですね」
「京都西町奉行だった父が病没した時、その後任として赴任してこられ、世話になった」
【参照】2006年7月26日[「今大岡」とはやされたが]
2006る年9月16日[町奉行・山村信濃守良旺(たかあきら)]
2009年9月24日[『翁草』 鳶魚翁のネタ本?]
(山村信濃守良旺の個人譜)
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コメント
南町奉行の山村信濃守良旺の再登場です。
このブログは、過去に登場したしたキャラにきちんとリンクが張られているので、つい、忘れたこともおもいだせて、ありがたい。
それだけ、ちゅうすけさんの手間は大変とおもいますが、怠惰な鬼平ファンのためにこれからもつづけてください。鬼平の実像が伝わってきます。
投稿: 左兵衛佐 | 2011.10.02 05:10
>左兵衛佐 さん
当ブログは、こころならずも7年と9ヶ月を経過しました。
過去のコンテンツをたどるのも骨でしょう、それで、できるかぎり過去記事にリンクをはり、はじめてアクセスしてくださってもリンクをたどれば大よその雰囲気がお分かりいただけるにようにこころがけております。
自分の記事にこれだけリンクをはっているブログは珍しいとおもいますが、記録性を重視しているためとお察しください。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.03 10:27