〔千歳(せいざい)〕のお豊(9)
「お顔の色がさえませんが---」
いつものように飯台の左手の片側に坐lり、冷や酒を注いだ片口から酌をしたお豊(とよ 24歳)が、首をかしげて科(しな)をつくった。(歌麿 お豊のイメージ)
深い黒瞳(くろめ)が銕三郎を見据える。
「ゆうべ、寝ていないのです」
「どう、なさったのですか? お差支えなかったら、お聞かせくださいな」
お豊の盃を満たしてやる。
「銕三郎さまの心痛事が晴れますように---」
目の高さまで盃をあげた。
「かたじけない。しかし、酒では、この悲しみは癒すことができないのです」
盃を一気にあけて飯台においたその手首に、お豊がつっと白い手を置き、
「お話しになれば、いくらかは、お気も晴れましょう。でも、聞き役が私ではご不足?」
お豊の手の甲に右手を重ね、
「大切なひとが死んだ」
お豊の手に力がはいった。
「奥方でございますか?」
「いや。奥は江戸にいます。なにごとも相談できたおなごでした」
「お察しします。このたびのご上洛は、そのお方にご相談ごとがおありだったのでございましたか?」
言って、もう一方の手を重ねた。
「うむ」
「私では、代役がつとまりませんか?」
銕三郎は、ちらっと板場へ視線を走らせた。
察したお豊が、声を投げる。
「駒どん。あとは私がするから、帰っていいよ。帰る前に、表戸をぜんぶたててしまっておくれな」
「仔細は言えない。そのおなごの知恵者に、助(す)けてもらうつもりだったのです」
「そのお人とは---?」
「あるところの軍者(ぐんしゃ)を勤めていました」
「軍者---?」
「さよう」
「もしや、して---」
「うん?」
「いえ。お人ちがいのようです」
お豊が眸(め)をそらし、手を抜き、酌をし、自分の盃にも注いだ。
そぷりの変化を、ふだんの銕三郎らしくもなく、気にとめなかった。
【参照】軍者としてのお竜
2008年11月1日[甲陽軍鑑] (1) (2) (3)
2009年1月3日[明和6年(1769)の銕三郎] (3)
2009年1月28日[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火)〕] (2)
お豊は、銕三郎の相方(あいかた)が〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 33歳)ではないかと推測したが、そうなると、自分も盗賊の仲間であることを明らかにすることになるので、我慢した。
「いつ、お亡くなりになったのですか?」
(うわさに聞いていたお竜さんが逝った?---このお武家が、お竜さんのいい人だったのだろうか? あの人はおんな男と聞いているが。信じられない)
「きのうの夕方---」
「おいたわしゅう---」
「うむ」
「それで、そのお人に、なにをご相談なされたかったのでございましょう?」
「御所に出入りしている商人」
「ご禁裏に?」
「他言は無用である」
銕三郎が言葉をあらためた。
「誓って---」
手のひらを、こんどは、銕三郎の右掌の下にいれ、つよく握った。
「誓って---」
さらに言うと、銕三郎が握り返した。
その手を、お豊は、頬に押しつけ、じっと銕三郎を瞶(みつ)めたまま腰をすり寄せ、襟元から乳房へみちびく。
「お豊どの」
一方の手で肩を抱いた銕三郎が、
「初めて会ったときからお訊きしたかったことがありました」
「なんでございましょう?」
まさぐられている乳首を押しだすように胸を近づけた。
「お生まれは、どちらかな? 上方育ちの女性(iにょしょう)とも、さりとて江戸生まれともおもえない---」
「しらないのです」
「冗談で訊いたのではありませぬ」
「冗談で応えたのではありません。ほんとうにわからないないのです」
「ほう?」
「五つか六つのときに、尾張・鳴海の宿はずれで、捨て子されたのです」
お豊が、乳房を銕三郎になぶらせながら、太い息づかいをもらしもらしのあいだに語ったところによると、それは、父との旅の途中であったという。
覚えているのは、父は2本差しで、袴をはいていたことと、夜、旅籠の湯舟にいっしょにつかると、
今は吾は 死なむよわが夫(せ) 恋すれば
一夜(ひとよ)一日(ひとひ)も 安けくも無し
つぶやくように言い、お豊を抱きしめてくれたことぐらいであると。
拾って育ててくれたのは、浜松の城下で小間物屋をひらいていた権十郎・おだい夫妻であった。
義理の母親・おだいはお豊が17歳のときに病歿した。
権十郎も2年前に歿した。
「お湯を浴びますか?」
「拙には、和歌の素養はないが---」
「和歌より、実(じつ)でございます」
href="http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/07/post-97fa.html">1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (10) (11)
| 固定リンク
「122愛知県 」カテゴリの記事
- 〔夜鴉(よがらす)〕の仙之助(2012.02.24)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(10)(2009.07.29)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(3)(2009.07.22)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(5)(2009.07.24)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(6)(2009.07.25)
コメント
しばらくご無沙汰して申しわけありません。
なんで読んだか思いだせないのですが、当時、御所で、役人たちと御用達商人とにより大がかりな汚職があったのでしたね。
銕三郎の上洛はそれなんだと、ようやく氣づきました。
なるほど、父の宣雄の京都町奉行の時の事件でしたか、あれは。
銕三郎がからむのは、当然です。
史実がらみで、だんだん、おもしろくなってきました。
先行きがたのしみです。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.07.28 05:54
>文くばり丈太 さん
御所役人の水増し請求書の事件をご存じだったとは、さすが、文くばり さん。
この件は、長谷川備中守宣雄(鬼平の父)の後任の山村信濃守良旺の時代に解決を見たことになっています。しかし、彼ら御所役人が水増しをはじめたのはもっと前からで、幕府もそのことにうすうす気づいていました。
それで、赴任する宣雄にもひそかに探索を命じたとおもいます。とすれば、探偵好きの銕三郎のことゆえ、内密に探索にかかわらないはずはありませんね。
解決の糸口がおんながらみですから、お勝、お豊の出番です。
投稿: ちゅうすけ | 2009.07.28 09:17