〔千歳(せんざい)〕のお豊(11)
浴衣を羽織っても、お豊(とよ 24歳)は帯をつけないで、前をひらいたまま、
「湯あがりのお酒(ささ)は、冷やでおよろしいでしょう?」
部屋には、布団が延べてあった。
(湯屋へ来る前にすませていたのであろうか。とすると、文を寄こした時からそのつもりでいたのだ。お竜(りょう 33歳)の事故のことは、まだ、しらかなかったのだから、仕方がなかろう)
そう推測した銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、悪い気はしなかった。
裾(すそ)をひらめかせながら、板場から、衣かつぎと銀杏(ぎんなん)と片口をもってきた。
「宿に断ってきていない。四ッ(午後10時)までには帰らねばならぬ」
「とどけ文で、察しているでしょう?」
「いや。明日、出直したほうがよさそうです」
「四ッ前まで、1刻(とき)半(3時間)あります。和歌より実(じつ)を---」
池波さんから、再度---。
お豊の情欲の烈(はげ)しさは、そのころの女として瞠目(どうもく)に価(あたい)するもので、あそびなれた平蔵(銕三郎=この時期)が目眩(めまい)するようなしぐさをしてのける。
(これまで、どのような世すぎをしてきたのか)
横です裸のまままで余韻を陶然と味わいつくしているをお豊の顔を盗み見ながら、銕三郎は、想像をめぐらせた。
(清長『柱絵巻物』右部分 イメージ)
(この家と店が買えるほどのものを惜しまなかった男とは?)
銕三郎が、下床の縁までそっと太刀を引きよせたのに気づいたらしく、
「だれも参りはしません。心おきなく、お味わいくださっていいのです」
「さようか。狐に化かされているのかも---」
「いいえ。真葛ヶ原の鬼婆ァでございますぞ」
銕三郎は、昨日の朝がた見た夢の半分を語ってきかせた。
【参照】2009年7月25日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (6)
くっくっと笑ったお豊が手をみちびいて、
「ふさふさでしょう?」
(同上 部分)
「そうそう。ご禁裏に出入りの商舗(みせ)をお探しでしたね。こころあたりがお一人ございます」
祇園の料亭へ食事にくるついでに、〔千歳(せんざい)〕でお茶を飲んでいく、烏丸蛤御門前(現・左京区下鴨南野々神j町2丁目)の粽(ちまき)司の〔川端道喜〕が客だといった。
(〔川端道喜〕 『商人買物独案内』天保4年(1833)刊)
「道喜さんは、御所の南門の脇に、道喜門というのがあるほど、禁裏とのかかわりが深いお舗(みせ)です。ほかの出入り商人のことも、商人同士でよくご存じではないでしょうか」
「おみごと!」
「私って、実がみたされると、頭がよくまわるのです」、
「明日の夜、目眩するほど、まわるようにして進ぜよう」
「うれしい。きっと、ですよ」
【参照】2009年7月20日~[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
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