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2009.07.20

〔千歳(せんざい)〕のお豊

京都の初冬は、底冷(び)えで夜明けがはじまる。
銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、くしゃみを一つはなって、床からでた。
京師での第1日目である。

きのうの夕刻、三条・白川橋ぎわの旅籠〔津国屋〕長吉方へ入った。

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(旅籠〔津国屋〕 『都買物独案内』)

ちゅうすけ注】池波さんも愛用していた『都買物独案内』では、〔津国屋〕為吉となっている。
池波さんは、江戸時代に実在していた店の、町名か店主名の一字を変えるときと変えないときがあったが、その決定基準の推測には、まだ手をつけていない。同好の士をつのって、いつかリサーチをやりいたいことの一つ。

朝食をすますと、さっそくに三条大橋を西へわたり、河原町通りの角でちょっと思案したが、おもいきって南へ向かった。

Photo
(三条大橋 『都名所図会』 塗り絵師:黒崎朔子 学習院生涯学習センター〔鬼平クラス〕 )

道みち、開けている舗(みせ)々で、この通りすじで、源七げんしち)どんという50代半ばで、駿州なまりのある番頭がいる骨董屋---と訊きながらきて、左が米屋町というところで、
「それやったら、2軒先の〔風炉(ふろ)屋〕はんでおます」
小間物屋の丁稚が教えてくれた。

高級骨董の〔風炉屋}は、河原町通り米屋町東入ルにあった。
表構えは間口2間半(4.6m)ほどだが、奥行きは京の家らしく、20間(36m)はゆうにあろうかという深さ。
狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 初代 52歳)が表の顔としてやっている店である。

骨董屋は、店を閉めるのが通りの舗々よりおそいらしく、ちょうど丁稚が大戸を開けているところであった。
(おれとしたことが。早朝から骨董などを求めにくる客はいないのが道理だ)
苦笑しながら、丁稚に、
源七どのはおられるかな」
首をふって、
「まだ、おいでてやおへん」
勇五郎どのは?」
また、首をふった。
銕三郎は、思い切って、
「お(しず)どのは?」
「小(ちい)ご寮はーんに、お侍はんのお客どすー」
奥へ向かって、大きな声で呼んだ。

勇五郎とそのむすめのような年齢のお(24歳)が現れた。
「おや、長谷川さまではございませんか。お、奥の仏間へお通ししなさい」

ちいご寮はんと呼ばれるだけあって、肉(ししおき)置きもみっちりつき、銕三郎と肌をあわせた18歳のころのむすめすむめした趣きは、躰の線からほとんど消えている。

参照】2008年8月2日~[お静というおんな] () ()  (http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2008/06/post_aaec.html) () () (

半間(90cm)幅で奥庭までつづいている三和土(たたき)の通路を、幅ひろくなった尻をぽこぽことゆすりながら先導するお静の変わりように、おんなもややを産むと、やはり腰がすわるとおもいながら観ている。
の腰の微妙なゆれを観ても、自分の股間が熱くならないのが不思議であった。
(それだけ、おれが成人したということか)

感慨にふけるまでもなく、2人目を産んだ久栄(ひさえ 20歳)の太くなった腰部(でんぶ)を、床の中でまさぐり愛(め)でて、江戸を発ってきたばかりである。
それも、久栄を安心させるために、義務感のようにまさぐったのであった。

「お頭のここでの商い名を訊いていなかったもので---」
勇五郎が商店の主らしく、膝をそろえて座につくと、銕三郎が言った。
「店舗(みせ)名は、宗泉(そうせん)ということになっております」
「こげ茶の短筒(たんづつ)頭巾(ずきん)でもおかぶりになれば、まさに茶の宗匠ですな」
「ふ、ふふふ。まさかに、盗人(つとめにん)とはおもう者はおりません」

「ところで、このたびのお上りは?」
「まもなく、父がこちらの西町奉行に着任します」
「それそれは。おめでとうございます。行人坂の付火の小悪僧を捕縛なさったとか、こちらでも評判でございました」
「江戸が半分近くも焼けた大火でしたから---」
「そうだそうですな。当分、お膝元での盗(つと)めは手びかえようと、お(りょう 33歳)とも話しあっておりました」
勇五郎は、さらりとおの名を口にのせた。

「そのおどののお知恵をお借りしたく、父よりさきに上ってきたのです、おどのは、いま、京に?」
「いいえ。しかし、長谷川さまのご用向きのお手伝いということであれば、4日ほどで呼びもどせます」
銕三郎は、さげた頭をあげ、勇五郎の目をしかと見つめた。
勇五郎の目は、かすかに笑っていた。
その目は、
(盗賊の探索ではございませんな)
と問いかけている。
銕三郎はうなずいた。

参照】2008年11月25日[屋根船
2009年1月2日[明和6年(1769)の銕三郎] () () (
2009年5月21日~[真浦(もうら)〕の伝兵衛] () () () (


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コメント

数年前、京都に行った際、銕三郎の宿「津国屋」の面影を求めて白川橋からの小路を散策いたしました。
三条白川橋のたもとにある京都最古の道標に 「此れよりひだり、ち於んゐんぎおんきよ水みち」と書いてありました。

投稿: みやこのお豊 | 2009.07.21 21:09

>みやこのお豊 さん
そうでした、白川橋のたもとに、古びた石の道しるべが残っていましたね。

ぼくも7年ほど前に、〔津国屋〕の跡から、鴨川ぞいの〔俵駒〕、北野天神うらの〔紙庵〕、下立売上ルのコースを歩いてみたことがあります。けっこうありました。
とくに四条に近い〔俵駒〕から〔紙庵〕までは、お豊は駕篭に乗ったにちがいないとー断じました。
『犯科帳』の舞台も、歩くといろんな発見がありますね。

投稿: ちゅうすけ | 2009.07.22 05:57

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