〔千歳(せんざい)〕のお豊(7)
夢の話をお豊(とよ 24歳)に聞かせたくて、茶店〔千歳(せんざい)〕へ、いくど、足が向きかけたことか。
そのたびに、
(待て。お竜(りょう 33歳)が先だ)
お竜の帰洛を待ち、2日目は、京都見物についやした。
二条城の近くにある、東町奉行所も西町奉行所も、門の前を素通りした。
寒気がきびしいので、遠出はできない。
石清水八幡宮や嵐山、大原村などへは行かない。
いまだと、『池波正太郎が歩いた京都』(淡交社 2002.7.27)なんて便利な手引き書もあり、適当なところを選んで歩けるのだが。
銕三郎(てつさぶろう 27歳)はまず、仙洞院の東端の荒神口へ行ってみた。
〔荒神屋〕という太物(木綿類)屋をさがした。
河原町通りから東へ入って賀茂川へ出る手前にあった。
【参照】2007年7月14日~〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
2009年12月28日[与詩(よし)を迎5に] (8)
2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府](1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)
200年1月21日~[銕三郎、掛川で] (1) (2) (3) (4http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/01/post-55dd-1.html)
のぞくと、大年増のおんなが刺し子をしているだけで、とうぜんのことだが、助太郎(すけたろう 50すぎ)の姿はない。
思いきって入り、
「助太郎さんはおいでですか?」
店のおんなは、ぽかんとして、応えない。
再度、問うと、おんなは、
「あんた。ちょってきとぅくれやすか」
奥から、中年の、人のよさそうな男がでてきた。
「なんぞ、ご用で---?」
「助太郎というお人はおられますか?」
「そのお方なら、いィはらしまへん。この店の前の持ち主はんどしたが、うちに売らはったんどす」
「いま、どこに---?」
「しってぇしまへん。お金払うた時がご縁の切れ目どしたんどす」
銕三郎はあきらめて、北野天神社へむかった。
(北野天満宮 『都名所図会』)
『鬼平犯科帳』を読んでいたら、天神のうらの料亭『〔紙庵(しあん)〕で一息いれたかもしれないが、銕三郎にはそのような土地勘はない。
帰りに本能寺へ参詣し、信長公をしのんだだけであった。
(本能寺 『都名所図会』)
翌日は、本願寺や東寺などに参詣して〔津国屋〕へ戻ってみると、旅支度をした〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)が、上がりかまちに腰かけて待っていた。
〔長谷川さま。えらいことになりました」
帳場で番頭が聞き耳をたてている。
とりあえず、部屋へ連れた。
「お竜が死にました」
「なにッ! どうして?」
「舟が旋風(つむじかぜ)にまきこまれ、琵琶湖に投げだされたのです」
お竜は、彦根である大店を嘗(な)めていた。
もちろん、お勝(かつ 31歳)が引きこみに入っている。
〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 52歳 初代)から、銕三郎さんが上洛してき、頼りにしているとの早飛脚の伝言を受けとると、お竜は、とるものもとりあえず、夕暮れなのに小舟を仕立てて大津へ向かった。
大津の舟着きが視界にはいったところで旋風にまかれて湖水に投げだされ、冬の厚着がたっぷりと水をふくんだ。
その着物に躰の自由をしばられ、溺死したのであった。
「お頭は、大津へ急がれました。源七も、このことを長谷川さまにお告(つ)げしたら、ただちに大津へ走ります。お頭からの、長谷川さまへの申し状ですが、大津へは決しておいでになりませぬように。お竜の溺死の顔をお目になさらないのが、せめてもの仏への手向(たむ)けと---」
涙をぬぐった源七は、すぐにわらじの紐をしめなおして出ていった。
のこされた銕三郎は、東をむいて手をあわせ、
「お竜。
お前のことがいとおしかった。
一生、忘れぬ。
今夜は、お前の言葉のかずかず、しぐさのあれこれ、髪や脇の下の匂い、乳首の皺の数、腰のホクロ、あの襞(ひだ)のぬめりぐあいまで思い出しながら、ひとりで、通夜をするぞ」
【参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年11月1日~[甲陽軍鑑] (1) (2) (3)
2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] (8) (9)
2008年11月25日[屋根船]
2008年11月26日[諏訪左源太頼珍] (2)
2009年1月24日[掛川城下で] (4)
2009年1月26日[ちゅうすけのひとり言] (30)
2009年5月21日~[真浦(もうら)〕の伝兵衛] (1 (2)
出仕前の若い男の人生の半分に、おんながかかわっているのは、いたし方がなかろう。
そうでない青春なんて、干からびた目刺しのようなものだ。
見逃してやってこそ、先達の情けというもの。
href="http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/07/post-97fa.html">1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9) (10) (11)
| 固定リンク
「122愛知県 」カテゴリの記事
- 〔夜鴉(よがらす)〕の仙之助(2012.02.24)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(10)(2009.07.29)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(3)(2009.07.22)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(5)(2009.07.24)
- 〔千歳(せんざい)〕のお豊(6)(2009.07.25)
コメント
ショック!!!
お竜さん、事故死してしまったんですか。
鬼平が40才代で火盗改メの長官になったとき6才齢年上のお竜さんが軍者となり、おまささんと手をつないでアシストすると予想していましたのに。
当時は、その齢ごろになると、男と女の生臭い関係もふっきれて、いい関係で仕事ができたはずですもの。
私も、今夜は、お竜さんのお通夜だわ。
投稿: tomo | 2009.07.26 05:23
>tomo さん
いつも、丁寧に読んでいただいており、ブロガーとしては、感謝のきわみです。
お竜の事故死ですが、初冬の近江の気象状態、日暮れにかかっての彦根から大津への琵琶湖の舟旅、お竜が着ていた冬衣装などを考えると、どうしてもそうなってしまいました。
ぼくも、助かる道を探したのですが---。ただ、恋は、結実しないで終わるからおもい出がすがすがしいのではないかと、自分をなぐさめています。
お竜は、禁裏役人の汚職の犠牲者の一人ともいえましょう。
投稿: ちゅうすけ | 2009.07.26 12:34