〔千歳(せんざい)〕のお豊(4)
なにか、気のきいたことを言いたいと、銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、あせればあせるほど、言葉がもつれる。
こういう体験は、はじめてであった。
お豊(とよ 24,5歳)は、盃を唇にあてがったまま、動きをとめ、眸(ひとみ)を斜(はす)ぎみに、銕三郎の言葉を待っている。
艶っぽい姿態に、銕三郎はよけいにあせった。
その緊張に耐えきれず、わざと店の中に視線をめぐらせ、おろかな言葉を発してしまった。
「よいお舗(みせ)ですな。どれほどのあいだ、やっておられるのです?」
男とおんなの会話としては、おかしい。
艶がなさすぎると、お豊が咽(むせ)た。
口中で酒をころがしたまま、言葉を待っていたのである。
飯台に投げるようにおいた盃には、酒ははいっていなかった。
袂(たもと)から、あわててだした手巾で、咳を覆う。
(歌麿 お豊のイメージ)
さらに手巾で目元の涙をぬぐい、
「わたしの代になって、もうじき、1年になります」
さりげなく飯台においた手巾には、唇の形に移った紅が、銕三郎には、お豊の秘所にもみえた。
股間が、不謹慎な反応しはじめる。
(そういえば、東海道をのぼる14日があいだ、おんなを絶っていたからな)
「舗の名は、〔ちとせ〕の読むのかな?」
(千歳飴(ちとせあめ)ではあるまいし---)
こんどは笑いを抑えて、
「いいえ。〔せんざい〕です。生年は百に満たないのに、常に千歳(せんざい)の憂いを懐(いだ)く---と歌った古詩からとりました」
「生年は百に満たず---といわれるが、お見うけしたところ、20歳(はたち)を出たか出ないかのようだが---」
「むすめに化けて、お武家さまをたぶらかす、真葛ヶ原(まくずがはら)に棲(す)む鬼婆ァかもしれませんよ?」
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻3[艶婦の毒]p99 新装版p104 には、〔千歳〕の床の下の穴は、真葛ヶ原の榎の大木の根方まで通じていたとある。
ものの本にいう。
八坂というは、北は真葛ヶ原、南は清水坂までの惣名なり。その中に八ッの坂あり。祇園坂、長楽寺坂、下川原坂、法観寺坂、霊山坂、山ノ井坂、清水坂、三年坂などなり。
「その鬼婆ァは、幾つのむすめに化けたかのう?」
「24歳の若年増。20歳やそこらでは、出事(でごと 交戯)の手くだが、まだ熟(う)れておりませんでしょう」
(きわどいことをいう。久栄(ひさえ)は20歳だが---、25歳の若後家だったお芙佐(ふさ)とどうちがうものか、自慢の手くだを味わってみたいものだ)
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)〕 (1) (2)
(お芙佐と睦んだのは、こっちが14歳であったから、味わうどころか、緊張のしっぱなしであったな。人妻・阿記(22歳)とのときは、味わうよりも目の前の別れのほうがつらかった)
2008年1月2日~[与詩(よし)を迎に] (13) (14)
銕三郎が謎を解こうと、とつおいつしていると、お豊は、
「霙(みぞれ)もどうやら、あがったようです。駒どん、板戸を戸袋へ納めて---」
【ちゅうすけ注】〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門というのが、老爺ィの名である。
中がたちまち、明るくなった。
お豊がさっと立った。
背丈は、5尺6寸(168cm)の銕三郎とそれほどちがわなかった。
「お鳥目はお近いうちのお越しのおりに---楽しゅうございました」
背中がぽんと叩かれ、追いだされていた。
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コメント
原作では、銕三郎は、お豊さんと交わりますね。ちゅうすけさん『犯科帳』では堂なんでしょう?
そのときに、〔虫栗〕の2代目があらわれてもめごと---ありえませんね。
池波『犯科帳』の4日も5日も店をしめて---というのが、やはり、自然です。それだけお豊さんは銕三郎がいとおしかったと、ファンはおもいたいのです。
投稿: tomo | 2009.07.23 05:20
原作がそうなっていますから、ちゅうすけ『犯科帳』もそうなるしかありません。
しかし、そこへいたる経緯で、多少、いろあいが異なりましょう。
tomo さんのコメントに教えられました。銕三郎がお豊(24,5歳)と交わっていたときは、たしかに2代目〔虫栗〕の権十郎はまだ30歳を出たばかり、いつ、〔千歳〕のお豊のところへ現れても不思議はありませんね。
また、〔男鬼〕の駒右衛門を監視役につけていたて゜゛しょうからね。
投稿: ちゅうすけ | 2009.07.23 12:42