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2008.06.04

お静という女(3)

「お召しになる湯あがり衣ですが、旦那のでよろしいですか?」
風呂から先にでたお(しず 18歳)が訊く。

「いや。3日したら〔狐火(きつねび)〕(45,6歳 京の盗賊・勇五郎)がやってくるのでしたね? その時、きちんと糊がきいた浴衣がないと不審がられましょう。きょうのことは、いつか発覚するとしても、なるべく遅いほうがよろしい」
「わたし、覚悟はできています」
「拙も、こころはできていますが、ことはできるだけ、穏便にすませるほうがいいのです」
「いいえ。このことで、さまにはご迷惑はおかけしません」
「それは、あとで話しあうとして、の浴衣があまっていたら、それを貸してほしい」

女ものの浴衣を着た短い裾から、銕三郎の足首が2本、にゅうっとはみ出ている姿がおかしいと、おが笑った。
笑うと、憂い顔の目じりが下がって、少女の泣きべそのようになる。
いつも憂い顔をくずさないおとしては、愛宕下の水茶屋の茶汲み女になって以来、はじめて、躰の芯からあふれでた笑いだった。

「晩のご飯ですが、お酒はありますが、お菜が、鯵(あじ)の干物と卵しかありません。木母寺(もくぼじ)境内の〔植半〕か〔武蔵屋〕へでも食べに行きますか?」
「この浴衣で?」
「あ。わたしとしたことが---長谷川さまを見た人が、驚いて腰を抜かしたりして---」
は、また、笑いころげる。

1824
(木母寺境内の料理屋 『江戸買物独案内』1824刊)

「〔武蔵屋〕から料理を取り寄せたとしても、人の記憶にのこります。人目につくことは、できるだけひかえましょう」
「鯵の干物を焼きます。卵は茹でます」

2人は、火をおこして飯を炊いたり、魚をやいたり、まるで新婚夫婦のように、騒ぐ。
あれを取って---とか、水が足りないから汲んできます---といったことまでが、楽しくて仕方がないみたいに、おは、ずっと笑顔をたやさなかった。

酒は、おのほうが強かった。
「お父(と)っつぁんが元気な時は、相手をしていましたから」
酌をし、酌をされる---幼な子のままごとにも似ている。
このところ、酒もすこしはいけるようになっていた銕三郎は、ふだんよりは4,5杯多く、すごしたらしい。
いい酔いが自覚できた。

「こうして、おと呑んでいると、ふしぎに、酒がするすると、喉に落ちてゆく」
「うれしいことを、おっしゃってくださいます。あすも、ごいっしょに呑めればいいのに---」

「やかましい家なのです」
「そうでしょうね。お旗本のお家柄ですもの。でも、長谷川さまは、ちっともお気どりがなくて---」
「生まれが生まれなものだから---」
「あら?」
「父上がまだ家督なさっていない時に、知行地の名主のむすめに手をつけて、生まれたのが拙なのだよ。もっとも父上には、強運がついてまわっているというのか、おもってもみなかった家督を相続なされ---。だから、拙には農民の血が半分---」
「おっ母(か)さんは?」
「いまの母上。正式の内室ではないが、父上とずっといっしょに---」
「女としてはなによりのこと。うらやましい」

かすかな物音に、銕三郎は目覚めた。
箱枕にそわせて、おに手枕をさせていた左腕をそっと抜く。
下布団の右に横たえておいた太刀を引き寄せ、耳をすます。
カリカリという音---。
はっと気づいて、蚊帳を出、戸口へ。
太刀を抜く。
板戸のつっかい棒をはずす。
外の犯人は、戸締りの横栓と落しを、表から小刀かなにかで切りとろうとしているようだ。
そっと横栓を引き、落しをあげて、一気に戸をあけ、太刀で戸口をふさぎながら、躰を入れ替えて、外を見た。

2人だ。
すばやく、戸口から表へ出る。
賊は、口をぽかんとあけて、女ものの浴衣姿の銕三郎を見つめている。
「お主(ぬし)ら、こっちへこい」

2人は、銕三郎の指示のままに、家から離れた。
「斬リ殺して、大川へ投げこんでもいいのだが、同業のよしみで、見逃してやる。いいか、よく聞け。この家は、〔狐火〕とおっしゃる大泥棒さまの別宅だ。きょうは、遠国盗(おんごくづと)めに出ていらっしゃるが、あさってにはおもどりだ。おれは、用心棒。お主らの首ぐらい、一刀のもとに落すだけの修行をしている。それと、知恵がねえようだから教えてやる。同じ盗人でも、戸締りや錠をやぶって押し入ったら重罪だ。女を手ごめにしても獄門」
2人はふるえあがった。
「さっき使っていた小刀をこっちへ寄こせ」
すなおに差し出す。
「ばかッ!柄のほうをこっちへ向けてだすのだ」
それを、大川めがけて投げた。
かすかに水音がした。
舟行灯をつけて往来していた舟の船頭が驚いたろう。

切っ先を相手の胸に突きつけて、
「お主の名は?」
仙吉です」
「齢は?」
「23です」
「住まいは?」
「寺島村です」
「寺島は広い。寺島のどこだ?」
「諏訪明神の裏手です」
「よし。夜が明けたら、うそかどうか、確かめてやる」
「あ、間違えました。法泉寺の北脇です」
「よし。そっちの名は?」
長次郎ってんで」
「齢は?」
「19」
「住まいは?」
仙吉兄(あに)いの隣」り
仙吉。この家のことを誰から聞いた?」
「法泉寺の墓守の捨次から、若い女の一人ぐらしだと」
「よし。捨次は、明日の夜、斬りすてにゆく。仙吉長次郎の手足を縛れ」
それから、仙吉をしばった銕三郎は、ふたりを物置にころがして、
「明日、お前らの言葉に嘘がないとわかったら、縄を解いてやる。それまでここで寝ていろ。蚊ぐらいは辛抱するんだな」

_360_3
(向島・大川沿岸 隅田村、寺島村など)

気配に、起きてきていたおに、
「戸口を傷つけられたら、〔狐火〕が不審におもいます。幸い、わずかだから、真新しい傷口は、あすの朝にでも泥でも塗りこんでおけば気づかれないすみましょう。また、あの者たちを傷つけると、村役人へ届けなければならなくなります。それは困る。だから、あす、あの者たちの言ったことの裏をとったら、おどして放してやります。あの者たちをそそのかした法泉寺の墓守は、風をくらって消えるでしょう」

くぐって蚊帳へ入ったおが、燈芯を明るくし、立ったまま、
「長谷川さま。ほら、見て」
寝着の前をまくって、太ももをさらした。
内股に、一条の筋がたれている。
長谷川さまのお宝---」
「早く、拭きとりなさい」

時刻は、夢うつつに渕崎村の弘福寺の四ッの鐘を聞いた気がしたから、四ッ半(午後11時)をすぎたばかりとおもえる。

七ッ(午前4時)をまわると空が白む季節だから、
「もう、ひと眠りできます」
「いえ、眠れそうにもありません」
向きあっていたおが、左足を銕三郎の股へ入れて、
「お眠(ねむ)のお薬をくださいな」

参照】[お静という女] (1) (2) (4) (5)


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079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事

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