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2009.05.23

〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(3)

「なんたる、愚鈍(ぐどん)!」
奥まった部屋から、有田祐介(ゆうすけ 31歳)の大きな声がした。
つづいて意味の聞きとれないほどに低い謝罪のことばが、銕三郎(てつさぶろう 26歳)の耳に達した。

銕三郎が、お(りょう 32歳)と密会をした翌朝、五ッ(8時)である。

有田の部屋へ行ってみると、木更津(きさらづ)港の船番所の書役(しょやく)が、畳に額をすりつけて、謝っている。
「どうしました、有田どの?」

「今朝の6ッ半(7時)の便船で、〔真浦(もうら)〕の伝兵衛らしい3人組が江戸へ向かったというのですよ。いまごろは、五井の沖合いです。江戸への速飛脚(はやびきゃく)をたてても、船が木更津河岸に着く時刻にはまにあいませぬ。みすみす、取り逃がしたも同然」

銕三郎が船番所の者にやさしく訊いた。
「たしかに、〔真浦〕の伝兵衛だったのか?」
「いえ。手前どもは顔をしりません。ただ、3人組の乗船客がいた、と申しあげただけでございます」

有田同心の怒りはおさまらず、
「その者たちの背丈、風体は?」
「それが、船着場の者は、はっきりとは覚えておりませんのでございます」
「田舎の愚鈍者めらが---」

銕三郎が、慰めるように、
「ご苦労でした。昼すぎまでに、船着場のその者の口述を書付けにして届けてくれますか。できるだけ、思い出し、背丈、顔の目印になるようなもの---そうだな、黒子(ほくろ)などだな、それから着ていたものの柄やそれの新しい、旧いも書いてくれると助かる」

銕三郎は、有田同心に目で合図し、船番所の書役をかえした。
有田どの。この者がじかに見たわけではないのですから、叱ってもしかたがありますまい」
「それはそうだが---とにかく、やることがのろい」
「田舎刻(どき)ですよ。東海道筋の継立(つぎた)てどころとは、いっしょになりませぬ」

「ところで、大多喜(おおたき)藩、久留里(くるり)藩、佐貫(さぬき)藩からの盗難届けは、まいりましたか?」
「それも、まだなので、田舎者は愚鈍だと申したのです」
「大多喜にしても、佐貫にしても、今朝五ッ(8時)に城下を発(た)ったとして、ここへ着くのは四ッ(午前10時)なら、御(おん)の字です」
「六ッ(午前6時)に発つべきなのです」
「役所が、商店とちがうことは、江戸も上総もかわりませぬ」
「火盗改メには、朝も夜もござらぬ」
「昨夜の有田どのは、ご機嫌で六ッ(午後6時)には、よくお寝(やす)みでしたよ。ま、田舎ぶりにあわせて、気ながにいきましょう」

各藩からの使いは、銕三郎が予想したとおり、四ッに前後して到着した。

いちばん先に着いたのは、久留里藩(藩主・黒田大和守直純 なおずみ 68歳 3万石)の使番(つかいばん)・丹羽幡之丞(はたのじょう 32歳 50石)であった。
使番だけあって挙措にそつがなく、歯ぎれはよく、なまりもない。

城下(千葉県君津市久留里)から木更津湊まで約3里(12km)。
朝六ッ半(7時)には出たであろう。
「江戸表へとどける藩米を、木更津湊までだす小櫃(こびつ)川の荷運び舟が、あいにくと今朝は下りませず、足で参りましたゆえ、遅くなりまして---」
一応は謝ったうえで、持参した書状を差し出した。

去年の秋口に、筆屋〔長石屋〕が3人組に押し入られ、抜き身で脅されて23両(368万円)奪われていた。
3人は覆面をしていたので顔はわからないが、言葉には安房なまりがあったと。

「盗賊火付改メ方の永井采女直該(なおかね 52歳 2000石)さまから継飛脚(公儀書状の飛脚)でお問い合わせをいただきましたのが、昨日の昼過ぎで、それから町奉行所を改めましたので、遅くなりました」

久留里町奉行所の犯科帳から写した一件書状をざっと読んだ有田同心が、
「瀬戸(裏)口から侵入したとあるが---?」
「久留里あたりでは、表戸は戸締りしても、裏口に心張棒(しんばりぼう)はかいませぬ」
「それでは、盗人に入ってこい、と言わんばかり---」
「城下にも村方にも、盗人などはおりませぬ」

ふん---鼻を鳴らした有田同心から手渡された書付けにざっと目を走らせた銕三郎が、
丹羽どのにおたしかめします。賊が使った抜き身の寸法はわかっておりましょうか?」
「いや、そこまでは手控えてはありませなんだ、なんでしたら、帰藩しまして、改めて〔長石屋〕を糾しますが---」
「それにはおよびませぬ。ご放念ください」

「いまひとつ、お尋ねします。周准郡(すえこおり)の白駒(しろこま)と申す村は、貴藩のうちでございますか?」
「はて---周准郡は、東と西で藩が異なりまして---それがしは郡(こおり)奉行職に就いたしたことがございませぬゆえ、しかとはお応えいたしかねますが、たしか、高岡藩の飛び地であったような---」

高岡藩は、譜代の井上筑後守正国(ただくに 33歳 1万国)の封地で、陣屋を下総国香取郡(かとりこおり)高岡(現・千葉県香取郡下総町)においていた。

「久留里城下から、何里ほどで---」
「さよう---山越えをいれて真東に5里半(22km)というところでしょうか」
「かたじけのうございました」
「白鳥村になにか---?}」
「いや。他事(よそごと)でございます。わが長谷川家の采地の一つが武射郡(むしゃこおり)の寺崎村で、そこにも白馬(しろうま)社があるように聞いております。なにかのつながりがあるのかとおもっただけで---」
有田同心の手前、銕三郎はとっさに嘘をつくった。
〔白駒(しろこま)〕の幸吉(こうきち 30がらみ)のことも、お竜(りょう 32歳)と〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 30がらみ)のことも、いまは秘めておくべきだと判じたからである。

(いまごろ、お(りょう 32歳)は白駒村に着いて、探索しているのだろうか)
昨夜の床の中での、おの中年増らしいずっしりした殿部の肉置(ししおき)がおもいだされ、おもわず唾をのみこんだ。

妻子がありながら、妾(めかけ)でもないおんなと親しく寝る。
考えてみれば、反道徳なことともいえる。
目の前の久留里藩士・丹羽幡之丞は、せまい藩内で噂になるようなそういうことはしないかもしれない。
藩内でなかったら、どうであろう?
有田同心は、31歳という若さで、妻には1男2女を産ませているが、いまではおんなより酒のようである。

銕三郎は、これからも、おとどうこうというつもりはない。
いちどは、女賊とは---とあきらめたが、もう、なりゆきにまかせるつもりである。
ただ、会って話がしたい。
が話すことには、いちいち、感銘する。

昨夜も、別れぎわに、
(てつ)さま。戦いは、正を以(も)って合い、奇を以って勝つ、と『孫子』にあります。奇を工夫なさいませ」
謎をかけた。
「奇」とは、なんであろう?
反道徳も「奇」ではないのか。
「風説」も「奇」あろう。
侍が「正」なら、盗賊たちは「奇」の集団ではないのか。
「奇」---すなわち、反道徳。


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