松代への旅(9)
「もう、江戸へ発(た)つのか?」
浦和の本陣・〔星野〕の玄関で、桜色の手絆脚絆に裾上げ、揚げ帽子の旅支度のお江(こう 18歳)が松造(よしぞう 35歳)とならんでいるのを認めた平蔵(へいぞう 40歳)がおもわず発した。
「いいえ。江戸ではありません。高崎までごいっしょさせていただきます」
「高崎に用でも?」
「〔九蔵町(くぞうまち)〕の元締に、[:化粧(けわい)読みうり]仲間になるごあいさつに参ります」
屈託のない、笑みを浮かべた口ぶりで応えた。
昨夜の風呂場の一:件を知っている番頭や女中が見ないふりで聞き耳をたてているのがわかっているため、
「では、そこまでいっしょに参ろう」
中山道へで、北へ歩みながら、
「高崎から帰りの供はどうするのだ?」
「ご心配なく。迎えにこさせます。それより、今宵のお泊りは熊谷(くまがや)、それとも鴻ノ巣(こうのす)になさいますか?」
「熊谷への里程(りてい)は---?」
「10里8丁絆(41km)ばかり---」
「鴻ノ巣は---?」
「6里(24km)をこころもちきれます」
「鴻ノ巣泊まりとしよう」
「私のためでしたらご無用に。これでも浦和・江戸を一日で往復します」
「いや。急ぐ旅でない。残暑もまだきびしい。宿ではお江どのとゆっくり語りあいたい」
「ごいっしょの宿でいいのですね。うれしい」
松造は気をきかせて、5,6歩後れているから、2人の話はほとんど聴きとれない。
昨夜、お江の引きしまった形のいい脚をおもって股間のものが硬直したことに内心の苦笑いを隠し、さりげなく、
「浦和あたりでも、お江どののような20歳(はたち)前の若いむすめたちのあいだで、背丈よりも脚の長さ---と申しておるかの?」
「奈々(なな)さまも脚の長いお方ですのね?」
早くも奈々(18歳)の名を記憶し、競いごころのようなものをおぼえているらしい。
「お江どのとおなじようにな」
「あ、きのう、裸の脚をごらんになっていたのですね。うれしい」
「美しい脚と見ほれていた。奈々は百済とかいう海の向こうの血がはいっておる」
お江が決心した口調で、
「私の母も、高麗系だったそうです」
「そうです?」
「私を産んでまもなくに亡くなり、私は父の〔白幡(しろはた)〕の本妻さんに育てられました」
「それでは、姉上とは別腹---?」
「でも、ほくんとうの姉妹のようにして育ちました」
「気質が異なっているのは、そのせいかもな」
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コメント
平蔵さんは奈々ちゃんの血筋をあかすことで、お江ちゃんへの防御線をそれとなくにおわせたつもりでしょうが、お江ちゃんは逆に平蔵さんが打ち解けたと受け取ったかも。奈々ちゃん、しっかり!
投稿: tomo | 2012.01.28 05:19
>tomo さん
平蔵は、18歳お江のものおじしない振る舞いときれいな脚に目をとめただけですが、まあ、男女のあいだのことは、ほんのちょっとした思い違いから発展してしまうこともあり、それが悲喜劇を生んでいることは、古今東西にいくらもあることです。
だから人生は面白いともいえます。当事者は大変でしょうけれど。
投稿: ちゅうすけ | 2012.01.28 13:00