« 松代への旅(15) | トップページ | 松代への旅(17) »

2012.02.04

松代への旅(16)

仁三郎どん。、8年前に九蔵町であった江戸の長谷川平蔵だ」
平蔵(へいぞう 40歳)が表戸を軽く敲いて呼びかけた。

高崎城下から手前、つまりに南に1里19丁(6km)戻った倉賀野村へ、松造(よしぞう 35歳)が足元にかざす提灯にみちびかれ、いそぎ足でやってきた。

夜空には10日目かかった上弦の月がぼんやりと浮かんでいる。

閻魔堂の脇の路地の隅に、農家だったらしい仁三郎(にさぶろう 30代半ば)の家があった。

戸があき、細見で長身の仁三郎が灯火を背に、いぶかしげな色を双眸(りょうめ)にたたえてあらわれた。
「お久しぶりでこざいます」
「ちょっと、入れてくれないか?」
「散らかしておりますが、どうぞ」

晩夏なので、裏庭に面した戸・障子があけっぴろげられ、蚊帳の中に布団かしかれていた。

道すがらの酒屋で求めてきた大徳利を手わたし、
「飲みながら話そう」

うなずき、木椀と湯呑みをみつくろい3ヶ並べた。
注ぎ、目前にかかげあい、呑む。

「8年前には足労をかけた」

参照】2010年8月29日[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] href="http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2010/08/post-12ac.html">5) 

「なにをおっしゃいます。二度とおれの前に面(つら)を見せるなと、破門をいいわたされていた〔船影ふなかげ)のお頭に、長谷川さまのお取りはからいのお蔭で、面接がかないました。お礼を申しあげるのはあっしのほうです」
「そういってくれて、肩の荷がおりた」
「もったいないお言葉てございます」

ほとんど笑顔をみせないといわれていた仁三郎の、張っている頬骨のあたりがかすかにほころんだ。

平蔵は、ざっくばらんに、このたびの松代への旅のことを打ちあけ、〔船影}の忠兵衛(ちゅうべえ 40代なかば)は、盗み(つとめ)のときは必ず宝船の雛形をおくことに相違はないかと訊いた。
「あっしが世話になっておりましたころはそうでしたが---」
「ふーむ。ところで、地元の蔵元ばかりを3軒も襲った理由(わけ)だが、どう推察するな?」

「あっしが破門されてからこっちのことは存じませんが、その7年前までのお頭はそのようなつとめぶりはなさりやませんでございました。そんなおつとめぶりをすれば、足がつきやすいと---」
(それでいて、宝船の雛形をこれ見よがしに残してくるというのも解(げ)せないが---)
そのことは口にせず、
「これから城下まで帰るのは面倒だ。今夜、泊めてくれないか」
布団が足りないがといいながら、仁三郎は蚊帳の中にそれらしい寝床をつくった。

腰を落ちつけたところで、酌をしてやりながら、
忠兵衛の生まれた土地について聴いたことがあるか?」
思わず下をむいた仁三郎に、
「あるらしいな---」
「はっきりとは存じませんが、水内郡(みのちこおり)の地京原村あたりとか---」

「歳は?」
「わっしが破門を申しわたされ7年前は40歳前でしたから、いまは中ごろすぎかと---」
「46,7歳とみておけばすいいのだな?」
「はい。太りはじめておられやしたから、齢よりは二つ三つ上にみえるかもしれやせんが---」
「会うつもりはない」

ちゅうすけ注】その後、火盗改メの平蔵の下で密偵となっとた仁三郎は、文庫巻16の[影法師]p42 新装版p44、 同[白根の万左衛門]p130 新装版p136、巻17[鬼火]p59 293 新装版p68 306  にも密偵の一人として名がてているが、巻18[蛇苺家]では平蔵から幾度も声をかけられp91 新装版p95 ほか、[一寸の虫]では主役といってよいほどの存在感で肉付けされている。
寛政5~6年(1794~5)ごろの事件と鑑定している[一寸の虫]に忠兵衛この天明5年(1785)の夏の終わりの平蔵の松代への旅は、だからその7~8年前。

|

« 松代への旅(15) | トップページ | 松代への旅(17) »

001長谷川平蔵 」カテゴリの記事

コメント

仁三郎が密偵になる前の話、よく練られています。
それはそれとして、ツイッターでチラッと拝見しましたが、お加減が相当にお悪いとのこと、案じています。お大事になさってください。
鬼平はともかく、史実の長谷川平蔵が語れるのは、ちゅうすけさんが第一人者なんですから。

投稿: 文くばりの丈太 | 2012.02.04 05:38

>文くぱり丈太 さん
早速のお見舞い、ありがとうございます。
ほんの30分ほどで、だらしないとおもって消去したツイッターがお目にとまったなんて、さすがですね。
はい。この1月はじめから液状栄養しか喉を通らなくなりました。咽頭に悪性腫瘍ができていたのです。
病院がよいのあいまの物語りづくりなんです。
そんなわけで、このブログの継続がいつまでつづけられるか先行きが不明なのです。
2ヶ月さきまでか、3ヶ月ももちますか。
これまでのご愛読を感謝するとともに、最後までのおつきあいを身勝手ながらお願いいたします。

投稿: ちゅうすけ | 2012.02.04 06:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 松代への旅(15) | トップページ | 松代への旅(17) »