愛馬・月魄(つきしろ)の妄想(3)
「良医といえば、手前のところの裏店で貧しい者には診立(みた)て代の請求をおくらせてやっている拓庵という先生がいます。診療と薬代はほとんど医書の支払いにあてているらしいく、着物も食事も粗末なもので、近所の者は拓庵じゃなく、漬物のほうの沢庵先生とおもっています」
〔音羽(おとわ)の重右衛門(じゅうえもん 59歳)が洩らした。
多岐(たき)元簡・もとやす 32歳)の顔がほころび、
「その沢庵先生、越後なまりがありませんか?」
「ありますどころか、すっかり越後弁です」
「それじゃあ、笹野さんだ」
元簡によると、拓庵は新発田(しばた)藩(10j万石)の藩医の三男で、医学館の元の塾名・躋寿館(せいじゅかん)時代に遊学にきていたが、そのころから粗衣貧食で医書の虫であったという。
藩主の手がついた侍女が産んだ双子の一方が藩医にもらわれたとのうわさもあったらしい。
「紋次(もんじ 43歳)どんに、かわら板のタネになるかどうか、あたってもらいましょう」
〔箱根屋〕の権七(ごんしち 54歳)がうまくおさめ、元簡が、
「父に、拓庵先生の蔵書の一部を買いあげるように申しておきます」
「沢庵先生の蔵書の中に稀書でもあれば話はできあがりですな」
^平蔵がしめた。
「奈々(なな 19歳)が剛(つよ)すぎ――といったのが月魄(つきしろ)のことだとわかったときには、奈保(なほ 23歳)どのも安先生もほっとしていたぞ」
腰丈の閨衣(ねやい)で、いつものように右膝を立てて冷や酒の盃を傾けている奈々は、自分の発言が座を立たせたことなどけろりと忘れてい、
「そやかて、奈保はんのとこ、いっしょになって5年も過ぎてはるのに、安先生いうたら、昼間の診察のときでも、おさまjらんいうて、居間にかけこんできはるんやって---」
「それは安さんにかぎるまい。われは昼間はお城につめておるからそうはいかぬが、奈々をとつぜん抱きたくなることがときどきあるぞ」
「うれしい」
奈々が膝をたたんだ。
閨へ移りたいというしぐさであった。
このごろの月魄は、奈々に裸で乗ってもらいたがった。
裸でとは、奈々のことではない。
鞍をつけない月魄の背に---である。
もちろん、奈々は野袴なしなので、またいだ奈々の内股と無毛に近い秘所がじかに月魄の背に接する。
奈々も月魄のなめらかな毛並みを感じるが、月魄のほうはそれ以上にしっとりした女躰の肌の感触に酔うらしい。
「局部がのびてくる」
馬丁・幸吉(こうきち 20歳)の観察であった。
「月魄も5歳だ」
「人間なら---?」
平蔵の指がわれ目をまさぐる。
「20歳の男(お)の子といえる。雌馬を経験させてやらねばな」
「雌馬を知ったら、うちのこと、忘れてしまうんとちがう?」
「それと奈々のとは、別ごとであろう」
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