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2012.01.23

松代への旅(4)

王子をすぎたあたりから、奈々(なな 18歳)は単調な景色に飽きてきたか、口数が減った。
(あき 19歳)は相変わらず控え船頭の百介(ももすけ 21歳)の動きから目をそらさなかった。

「舟路の6割(60パーセント)をこなしました。もうじき、荒川へ入ります。そのとば口の志村に舫(もや)り、昼餉(ひるげ)としましょう。はばかりは茶屋にあります」
辰五郎(たつご゜ろう )の声に、里貴とおはきゅうに便意をおもいだした。
そういえば舟にはおんなが用をたせる場所がなかった。

茶寮〔季四〕で今朝がた作られた折り箱弁当がくばられた。
百介が気をきかせて茶店に茶と湯呑み茶碗を借りに行くうしろに、おがくっついていた。
はばかりをすますのを百介が待ってやっていた。

奈々は見て見ぬふりで、平蔵には告げなかった。
考えてみると、自分が今宵、平蔵に求めるのは朝まで同衾しての淫らな閨事(ねやごと)であることをおもうと、おをとがめるのは理にあわないとわかった。

女中指南のお(えい 51歳=当時)が、店の客との情事(いろごと)は法度(はっと)だが情人(いろ)とはのそれまで禁じてはいけないと諭してくれた。

参照】2011年8月9日[女中師範役のお栄(えい)]

そのときには奇妙な禁則と反発もしたが、平蔵とこうなってみると、禁欲は女性(にょしょう)の生理に逆らっているようにもおもうようになってきていた。
とても、故郷からでてきてまる2年、男っけなしで働きつづけているのだ。
(老練いうのんは、性(さが)に逆らわへんいうことなんやわ)

しかし女将としては帰ったら、おも交えて寮長(やどおさ)のお(はる 21歳)とよく9く話しあおうと、とも決めた。

8月の空は底抜けに青かったが、頬をなぜる風は秋のものでもあった。


戸田の船着きには八ッ(午後2時)についた。
辰五郎たちは舟の預かりなどの手つづきがあるので後れて蕨宿へ入ることになり、平蔵主従と奈々・おが先行した。

425_360
戸田川渡口 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

戸田の渡しからは、ずっと富士が視界にあり、奈々を喜ばせた。


_150平蔵奈々の宿は、2階のつづきの2部屋を借り切っての北町の〔芝屋]茂兵衛方であった。

泊まり客たちが着かないうちに浴びてしまいたいからと、奈々が風呂を頼んだ
父娘ほども齢が離れているが、奈々が鉄漿(おはぐろ)にしているから継妻であろうということで、いっしょの入浴も黙許された。

もっとも、平蔵も宿側の疑念を封じる策は使った。
浦和宿の元締・〔白幡(しろはた)〕の長兵衛(ちょうべえ 48歳)あての封書を問屋場から飛脚便にしてほしいと帳場へ頼んだのだ。
それだけで、平蔵奈々のあいだがらを憶測することはぴたりとやんだ。

参照】2011年11月9日[月輪尼の初瀬(はせ)への旅] (

奈々もこころえてい、腰丈の寝衣(ねい)に着替えるのは、膳がさげられ、寝床が延べられるまでひかえた。

松造とおは2軒おいたふつうの商人旅籠に入ったが、部屋が別々であったことはいうまでもない。

そして、おの部屋へ百介が酒徳利を提げて訪れたことは、奈々は江戸へ帰るまでしらなかった。
帰りの舟では、それらしい態度をとらなかったからである。


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