銕三郎、膺懲(ようちょう)す
「銕(てっ)つぁん。これを、許しておいちゃあいけねえって、ダチがいってますぜ」
与力・浦部源六郎(げんろくろう 51歳)たちが帰ったあと、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 38歳)がいきまいた。
〔左阿弥(あさみ)〕の円造(えんぞう 60歳すぎ)も、
「やらはるんなら、助(す)けさせてもらいます」
2代目・角兵衛(かくべい 42歳)もうなずいた。
「元締。口の堅い若い衆を2人ほど、お貸しいただけますか?」
「2人といわず、5人でも10人でも---」
「いえ。討ち入りするのではありません」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が説明した。
これは、個人的な報復とか復讐ではなく、悪をこらしめる膺懲(ようちょう)なんだと。
奴らは、僧籍にありながら、もっとも基本的な五戒(かい)のうち---不殺生(ふぜっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)の3つまでを犯している。
宗門はそれを見ないふりをし、見のがすといってきているにひとしい。
天にかわって、この不義の徒をこらしめるのであると。
ただ、現世の法は、すべては、町奉行所の裁きにまかすようにと、私的な膺懲を禁じている。
宗門は、あげて、犯人たちの擁護にまわるであろう。
とりわけ、門跡(もんぜき)がからんでいるばあいには---
したがって、こらしめた側が誰かわからず、迷宮入りにしなければならない。
それには、小人数で、ほころびがでないようにしてかかることが肝要。
「盗みもやってますのんか?」
角兵衛が訊く。
「われわれが寄進した10両(160万円)ばかり、盗みました」
「許せまへんな」
元締が歯ぎしりした。
(もっとも3本が義歯なので、さほどに力ははいっていなかったが---)
「邪淫って、そこまで辱めよった?」
彦十が口をすべらせた。
「いや、あ奴たちは、庵主(あんじゅ)に言いよって、拒絶されたのを、逆恨みしたのだ。庵主は、これまで、それを口にしては自分が淫逸(いんいつ)に与(く)みしたと同じことになるとおもい、秘していた。しかし、あ奴らはその上にあぐらをかいていたが、庵主が還俗すれば、いつ暴露(バラ)されるかと、それを恐れての襲撃であったふしも、ないではない。まあ、本筋のところは、嫉妬だが---」
襲撃組にまだ知られていない錦小路通り・室町通り上ルの家を、膺懲の本拠にすることに決め、顔をしられている寺男は外出をひかえること、彦十は滞在している〔瀬戸川(せとが)の源七(げんしち 57歳)のところから、こちらへ移ること、貞妙尼(じょみょうに 享年25歳)の母親を、油小路・二条上ルから、しばらくのあいだ、ここへ住みかえてもらうこと、寺院を通しての葬儀はしないこと、無縁仏を火葬に付する手続きを奉行所でとってもらうことにした。
「彦さんは、筋屋町の西迎寺が見渡せるところに見張り部屋ををみつけ、住持(じゅうじ)・暁達(ぎょうたつ)の出入りを看視し、訪ねてきた坊主がいれば尾行してどこの寺の者かたしかめてほしい。そのための手足を元締のところの若い衆から借りることになっておる」
「合点だ。ついでに、暁達とやらが囲っている妾と、庫裏の間取りも調べますぜ」
「妾をつくっていれば---だが」
みんなで笑った。
【参照】2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
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