貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(7)
「元締が、脇門の外でお待ちどす」
いつも金子を届けてくれる〔左阿弥(さあみ)〕のところの若い者(の)が、役宅の下僕とすっかり顔なじみになったらしく、内庭へはいってき、銕三郎(てつさぶろう 28歳)に告げた。
読んでいた書物『十八史略』を伏せ、袴を着して門の外に出ると、円造(えんぞう 60歳すぎ)元締が、
「錦通り・室町通りに、ええ家が見つかりましてな。ご見分いただこうおもいまして---」
誠心院の貞妙尼(じょみょうに 25歳)が還俗(げんぞく)して住まう家を頼んでおいたのである。
しもうた家という条件で探してもらった。
円造は顔がひろいから、その道の周旋人にも知り合いが多かった。
「元締じきじきにお運びいただき、恐縮です」
「なにをいわはる。庵主(あんじゅ)はんは、孫むすめやおもうてますねん」
その家へ着いてみると、2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)が庵主を伴なって、さきに見分していた。
室町通りから路地をはいったつきあたりの二階家であった。
「どうですか?」
墨染めの大衣の貞妙尼は、淡い比丘尼頭巾で長髪をかくしていたが、顔は上気しており、頬の赤みがいつもより濃かった。
「お貞(てい)に戻って住むには、もったいないほどのお家どす」
「母ごもいっしょに住めるような家をと、元締にお願いしておいたのです」
「すんまへん。母(たあ)は、近所の知り合いと別れとうないさかい、いまのところを離れられへんいうて、駄々こねてます」
「ま、母・むすめで、ゆっくり話しおうたらよろし。この家さえあったら、いつかて越してきてもらえるんやさかい」
角兵衛・2代目がとりなし、周旋人に目くばせした。
貞妙尼が好みの什器をあの部屋、この納戸に配る空想にふけっているのを、元締は満足そうに眺めている。
銕三郎は、貞妙尼に5両(80万円)の紙づつみを手わたし、
「これで、なんやかや、買い整えなさい。還俗をすませ、越してきた日にとどけるようにいいつけておけばいい」
元締と角兵衛に礼をいい、銕三郎はひと足に役宅へ戻った。
(春信『髪洗い』 久栄のイメージ)
先日の貞妙尼の髪洗い姿が、ちらっと横ぎったので、
「雇い人の目のとどかないところで洗ったらどうかね」
久栄(ひさえ 21歳)は、右腕ごしに眸(め)を投げかけ、
「旦那どのは、長い髪をさげた女性(にょしょう)がお好みとおもったので、やっているんですよ」
声にトゲがあった。
「なんの話だ」
「お分かりになっているくせに---」
「分からぬ」
「お分かりにならなければ、それまでのことでございます。ただ、部屋ずみの身で、側室をおもちになるのは、いかがかと思います」
「側室? 誰のことだ?」
久栄は問いかけをはずし、お舅(しゅうと)どの・備中守宣雄(のぶお 55歳)は、1500石格に加えて西町奉行としての玄米600石の役手当てをおもらいになっているのに、
「側室にでもと雇いいれた左久(さく 17歳)に手もお触れになりませぬ」
(ははーん。父上にあてがうために佐久を座敷女中にしたのに---と、不満のはけ口を、おれにむけたな。カマをかけただけのことか---)
「38は、齢が離れすぎとはおもわぬか?」
「世間には、いくらも例がございます」
「父上は、面倒と、おおもいかも---」
浴衣に袖をとおして居室にはいった久栄を追い、障子の陰で、押したおそうとした。
「なりませぬ。辰蔵(たつぞう 4歳)がきます」
(歌麿『ねがいの糸口』 久栄のイメージ)
「若。彦十さんが見えています」
内庭から松造(まつぞう 22歳)の声がかかった。
【参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9) (10)
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4)(5) (6) (7)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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