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2009.10.24

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(6)

「すぐ、すませますよって、お待ちになっておくれやす」
双肌ぬぎで長髪を洗っていた貞妙尼(じょみょうに 25歳)が、左手で髪を束ねもち、顔だけを向け、声を送ってきた。

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(歌麿『婦人相学十躰 洗髪』 貞妙尼のイメージ)

透(す)きとおるほどの白肌が、銕三郎(てつさぶろう 27歳)には、まぶしい。
子にふくまさせたことのない乳頭は、25歳におんなにしては小さく桃色のままである。
もっとも、銕三郎は吸っているが、亡夫もなぶったであろう---。
小豆ほどの乳首にもかかわらす、張った乳房は銕三郎の掌にあまる。

(符合ということは、ほんとうにあるのだな)
きょう、油小路・二条上ルの鞘師・三右衛門の裏の、いつもの2軒長屋へやってきたのは〔化粧(けわい)読みうり〕の名代(みょうだい)料をわたすためでもあった。

符合というのは、その〔化粧読みうり〕の客寄せの記事が、[髪を洗う伝(でん)]であったからである。

陽気がよくなり、15丁ほどもいそぎ足であるくと、汗ばむ日がつづいている。
道が乾いて、土ぼこりが舞うことも多くなった。

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(速水春暁斎・絵 『都風俗化粧法』東洋文庫)

〔ふのり〕〔とうどんのこ〕に〔むくの木の皮〕を刻んで煎(せん)じた湯をくわえたもので洗うと光沢(つや)もでるし、黒い髪がより美しくなる---といったことを絵に添えた。

すすぎを終えた貞妙尼が上半身裸のまま、後片づけをしながら、
「きょうはお会いできるのやとおもうたら、お経をあげてたかて、気がはいらしまへんよって、早めにきて、洗ってましてん。そしたら、銕'(てつ)はんも早(は)よきィはって---」
髪を乾かすために、まだ、束ねていない。

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(歌麿『歌まくら あわび採り』 貞妙尼のイメージ)

「拙も、考えごとに身がはいらなくてな。さいわい、〔左阿弥(さあみ)〕のところの若い者(の)が昼すぎに届けてくれたので---」

貞妙尼は、還俗したときの住まいのあれこれについて空想していると、すぐに日が経ってしまって---と笑った。
「新世帯をととのえるみたいに、浮きうきしてくるんどす。おかしおますやろ」
「おかしくはない。お貞(てい)の新しい門出だ。ついでに、名もあたらしくととのえたらどうかな。町名主のほうへは、奉行所がなんとかしてくれよう」
「ひゃあ。新しい名を考えるだけで、3日はかかりますやろ。なんや、楽しゅうなってきました」

櫛けずろうと腕をあげたときの黒い脇毛を目にし、たまらず、抱きよせ、口を吸う。

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櫛の手をやめないので、唇がついたり離れたり---それがおかしいと、2人とも噴きだした。

「名どすけど、貞妙尼の「」を「たえ」と読んだらどないでしょう」
「待った。それだけは駄目だ」
「奥方の名やったんなら、寝言でいわはったかてたかて、よろしやおまへんか」
「違う。母上の名なんだよ」
「そら、親子どんぶりになってしまいますなあ」
また、噴きだした。

他愛もない冗談が、先の見通しが明るいために、屈託なく笑えた。

「うち、ほんまに淫らになったかもしれしまへん。ゆうべ、嫁にいくとき、母(たあ)が行李の底へしのばせてくれはった、絵ェの夢をみてしもたんどす」

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(北斎 『嘉能之故真通』部分)

「雄蛸と子蛸がからんできて、唇やら乳首やら下腹やらを吸いよりますねん」

夢の中の刺激をおもいだしたらしく、貞妙尼の双眸(りょうめ)が潤んできた。
相づちに窮した銕三郎は、懐の、刷りあがったばかりの〔化粧読みうり〕を、わたした。

下のお披露目枠に目をとめ、
「ぎょうさんの小町紅どすなあ。小町紅の大名行列やおへんか---」


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(『商人買物独案内』より)

祇園町の〔平岡油〕は、〔むくの木の皮〕を煎じて混ぜた、化粧法の書いておいた髪洗い油である。
銕三郎の入れ知恵でつくらせた。
左阿弥〕の2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)は、お披露目枠にそのことを載せたらといったが、銕三郎が反論した。
混じた油はどこで売っているかと、〔化粧読みうり〕を売っている祇園社境内の仮床の店へ客が訊いときに教えたほうが、真実味とありがた味が高まるのだと教えた。
もちろん、〔延吉屋〕でお(かつ 32歳)に化粧指南をうけているむすめが訊いたら、即、売りつける。
8:2で、おの取り分は8分だと。

_150「忘れていた。女化粧指南師のおが、〔紅屋〕のために、あたらしい色に口紅を考案したんだ。橙色と濃い紫色のと桃色とかいっていた」
「濃い紫?」
「貞尼(ていあま)のように武家風のおんなには向かないが、跳ねっかえりのむすめは、その筋のおなごたちがしているから飛びつくだろう」

いつの時代にも、奇をよろこぶ若いむすめがいることを、お勝は店で毎日見ているのである。
そこから想をえた製品開発だけに、強い。
〔紅屋〕も、おのところで日に3人のむすめが濃い紫の口紅を買えば、10日後には洛中に3,000人のむすめたちが黒っぽい下唇をして街をあるき、1ヶ月後には1万人がそうしている---とふんだ。
(左の絵は、英泉『艶本婦慈之雪 洛陽之売色』)

苦笑を消した銕三郎が、貝殻(かいがら)を取りだし、まともな紅だから、還俗したつもりで、ためしに刷(は)いてみないかとすすめた。

筆にほんのすこしつけて、母親の手鏡でたしかめ、笑みをこぼした。

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(歌麿『北国五色墨』)

銕三郎が筆をもぎとり、
「こっちを向いて」
浴衣の前を押しあけ、乳頭に紅をさす。
「くすぐったぁい!」
躰をよじりながらも、胸をつきだす。
それに、銕三郎が口でうけとめた。

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(歌麿『ねがいの糸口』部部分 貞妙尼のイメージ)

軒先では、雀が藁を1茎ずつ運んでは、巣づくりにはげんでいる。


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10


参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事

コメント

きょうは、浮世絵の大サービスでした。
文章にあわせて画家が描くのではなく、文章にあった絵をおさがしになるのですから、ご苦労のほどは察しています。
でも、見る側は、情景が具体的に浮かぶので、ストーリーもしみこんできます。
大変な作業であることはよくわかりますが、これからも楽しませてください。

投稿: kayo | 2009.10.24 06:12

>kayo さん
ほとんどの浮世絵は著作権がきれていますから、こういうところへも使いやすいのです。
これが明治以後の画家のものとなると、没後50年ということで、多くの絵がつかえません。
『風俗画報』(明治から大正初年にかけて出た雑誌)にもいい絵があるのですが---。
まあ、道楽みたいなブログですから、できるだけ多くの人に楽しんでもらおうと、いろいろやってみてはいるんですが。
その試みの一つが、『都名所図会』の塗り絵です。『江戸名所図会』の全絵は8年ほどかけて塗りましたが、『都』と『東海道名所図会』『中山道名所図会』は、いい復刻版がないもので、小さな図版を拡大コピーして塗っているので、おもったほど効果があがらないようです。
ま、これからもせいぜいつとめますから、ご声援ください。

投稿: ちゅうすけ | 2009.10.24 08:59

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