誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)(2)
絵師・北川冬斎(とうさい 40がらみ)のところへ2板分の画料として2分(8万円)、彫り師に1両3分(28万円)、刷り職に3分(12万円)、紙屋へ1分1朱(5万円)、誠心院の貞妙尼(じょみょうに 25歳)に約束の1両2分(24万円)を配ってきた若党・松造(まつぞう 22歳)に、駄賃として1朱(1万円)わたした。
(多すぎたかな。ま、京は物の値も高いからな)
【参照】2009年8月26日[化粧(けわい)指南師・お勝] (3)
銕三郎(てつさぶろう 28歳)の手元には、1両(16万円)ぽっきりしかのこらなかった。
しかし、貞妙尼へ利益の半分---1両2分板を重ねるごとに奉納することになってから、京極一帯を取り仕切っている〔左阿弥(さあみ)〕の力の入れようが、一段と強まった。
月に3板ではものたりない気分のようである。
「若。誠心院さんがご不満のようでした」
松造が、あたりを気にくばりながら告げた。
「きっちり、1両2分、包んだはずだが---」
「そのことじゃ、ねえんで---」
松造には、探索のこともあるから、武家ことばは、京では使わなくてもいいと申しわたしてある。
「なにが不満なんだ?」
「初回(はな)にお布施をお持ちにならはったきり、お見えにならへんよって、お礼のこころがとどきまへん---と、こういうてやした」
「お礼なら、松(まつ)からきっちり聞いておる」
「気がおさまらないんでしょうや。なにしろ、大金でやすから---」
「わかった。しかし、あの能面づらは、鬼門なのだ」
「能面づら---?」
「にこりともしない」
「そんなことはありやせん。あっしがお布施をお渡しすると、もう、顔中の笑顔でお受けになりやす」
「顔中の笑顔---信じられぬ」
「次に、若がご自身でご持参になれば、あっしが嘘をいってねえってことが証明されやす」
銕三郎は、半信半疑でいたが、気分がすっきりしないため、七ッ(午後4時)すぎに誠心院へ足を向けた。
西の嵐山の上の雲が夕焼けしている。
夕べの勤行らしく、経があげられていた。
謡うような抑揚の、美しい誦経(じょきょう)である。
仏頂面から発している声とは、とてもおもえない。
しばらく聞きほれていたが、意を決めておとないを乞うた。
読経がやみ、
「どなたはんどす?」
振りかえり、銕三郎を認めると、満面に笑みをうかべ、
「おこしやす」
立って本堂の上がり口へでてきた。
きょうは白の僧衣をまとってい、薄暗い本堂にもかかわらず、白い顔が透(すきとお)って見えた。
(表情がうごくと、能面どころか、きわめて美形だ)
「使いの者から聞きましたゆえ、参じました」
「お待ちしとりましたんえ。房(ぼう)のほうでお話ししまひょ」
横の裏戸が房へつながっているから、履物をもってあがれといい、手ぎわよく須弥壇(しゅみだん)まわりを片つ゜けていった。
堂の戸締りをし、房への通路へ手をとるようにして導いた。
「先(せん)は、表の玄関からでしたが---」
そういった銕三郎に、
「男封じの、秘密の逃げ道どす」
いたずらっ子のように、肩をすくめ小舌を見せて笑った。
「突然、うかがいまして---」
謝ると、これがこの前の能面づらと同じおんなかと目を疑うほどに表情をくずし、
「いつも、ぎょうさんなご寄進をしてくれてはるのに、なんの遠慮もいりまへん。いつかて、大喜びでお迎えしますえ」
薄ぐらい部屋で双眸(りょうめ)が生き生きと輝き、艶っぽい笑みを絶やさない。
行灯に灯(ひ)がはいり、気をゆるした顔は、銕三郎が思っていたよりふっくらとしており、、はるかに美人であった。
「先日、〔左阿弥〕の元締とうかがったときには---」
「不満顔は、男除(よ)けどす。そのために仏道にはいりましたんやさかい---」
夫が病死したとき、葬儀もすんでいないのに、妾話がしつこく持ちこまれたということであった。
難のがれのつもりで得度したが、こんどは、僧たちが入れかわり立ちかわりで口説きにきているのだと笑った。
「うちにはその気ィはみじんもおまへんのに、名ァのある名刹の高僧はんかて、誘いにきやはるのどす、大仰なことどす」
あまりにうっとうしいので、本山の門跡・泉湧寺(せんゆうじ)へでもはいろうかとおもったこともないではなかった。
(誠心院の本山・泉湧寺 『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
「でも、あそこへはいってしもたら、不自由やろと---」
「不自由---?」
「都のはずれどすし、戒もきびしゅうて、こないして、銕三郎はんとおおっぴらで会うこともでけしまへんやろ?」
艶(なまめ)かしい眸(ひとみ)で見上げる。
泉湧寺は、下京区今熊野に現存している。
寺名を聞き、銕三郎は、雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕忠兵衛から聞いた、近くの下落合・泰雲寺の故事をおもいだした。
泉湧寺門前の骨董舗〔くずやま〕のむすめが、夫に死なれ、高僧智識・白翁和尚に入門を願ったが断られた。
美貌すぎる---が理由であった。
おんなは、焼きごてで顔を焦がし、ついに、許されたという。
授戒ののちの法名を、了然尼といった。
(泰雲寺故事 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
いける世にすててやく身やうからまじ
終(つい)の薪とおもわざりせば 了然
故事を貞妙尼に話すと、
「銕(てつ)はん、うちが顔を焼きごて傷つけていても、きてくれはりましたか?」
もとの能面づらをしてみせた。
能面づらのまま、つづけて、
「先だっては、元締はんがいやはりましたんで、わざとそっけのうしときましたんどす。気ィ悪うしはったんやったら、かんにんどす」
銕三郎がなにか言おうした途端、その唇を指でふさぎ、さらに左右になぞる。
感じてきた銕三郎は、衝動的に指をくわえこみ、舌でまさぐり、軽く噛み、吸った。
「うれしおす」
貞妙尼が、躰をあわせてきた。
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (3) (4) (5) (6) (7)
【お断り】あくまでも架空の物語で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
いつかも、ちゅうすけさんが「ひとつは、長谷川平蔵が火盗改めになるまでのイタ・セクスリアスだ」って書いていらっしゃいましたが、相手の女性にとってみると、ラブ・ロマンスでもあるんですね。
尼僧=--しかも、有髪の尼さんとのラブで、銕っつぁん、大張り切りでしょうね。
それにしても、〔左阿弥〕の元締の後ろ盾ぶりも好ましいです。
投稿: tomo | 2009.10.13 05:54
>tomo さん
銕三郎は、14歳で初体験し、それから、阿記、お仲、お静、お竜、久栄、お勝、貞妙尼と、恵まれた遍歴をかさねつつ、男を磨いていきます。ラブ・ロマンスというより、セックス・ロマンスでしょうが、それも、男の磨き砂であり、女性にとっても、男の器量をはかるスケールを銕三郎においた意義をかみしめているのではないでしょうか。
とにかく、史料もですが、おもしろさを優先させてのブログをこころがけています。
これからも、ぜひ、ご声援ください。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.13 07:45
誠心院の貞妙尼 興味深く拝見しました。わたくしは了然尼の研究をしています。そこでこの話は鬼平の本の何巻にでているのでしょうか。文庫本でも単行本でも結構です。鬼平は大シリーズなのでちょっと見ただけでは、探しきれません。ご教示頂けたらうれしいです。
投稿: 松村 恒 | 2010.12.27 22:33
松村 恒 さん
長谷川平蔵は実在した史実上の幕臣です。
鬼平は、池波正太郎さんがわずかな史実をもとに創作・造形なさった小説上の人物てです。
ぼくのブログは、その後、世に出てたきた長谷川平蔵(幼名・銕三郎)の史料をもとに、小説の人物、あるいは想像した人物をからませて、進展している、火盗改メ就任までと、池波・鬼平が中途で終った以後へ向けて空想をひろげています。
貞妙尼は、ぼくがつくりあげた女性てあることは、コンテンツの末に断っております。
したがって聖典『鬼平犯科帳』には登場しておりません。
ただし、誠心院も湧泉寺は現存しています。
ご愛読、コメント、ありがとうこざいました。了然尼のご研究のに成就を期待しておのます。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.28 02:20
>松村 さん
グーグルで[ 泰雲寺 上落合 ]を検索なさったでしょうか?
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.28 11:52
ご丁寧なご回答ありがとうございました。mixiにも類似の問いをさせていただきました。マルチポストになりおしかりを受けるかもしれませんが。
貴サイトをきちんとよまずに失礼いたしました。
了然尼のことを来年中にまとめる予定ですが、貴サイトのことも言及させていただきたいと思います。
江戸名所図絵の了然尼の記事は、江戸時代の諸文献の中でもよくまとまっていてよい記事だと思っています。泰雲寺古事のカラー版もきれいで楽しませて頂きました。
池波先生の博学にはいつも敬服しています。剣客商売の中にも、谷中三崎に法住寺というのがでてきましたが、これは今は廃寺で郷土史家でないと知らないものです。私は牡丹灯籠の研究をしていたときに、この寺を知りました。池波先生はとっくにご存じだったわけです。
ちゅうすけさんもますます鬼平サブテクストの作成にご活躍ください。
取り急ぎ御礼まで。
投稿: 松村 恒 | 2010.12.28 14:40