誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)(3)
もたれかかった貞妙尼(じょみょうに 25歳)を支えようとして、背に右腕をまわした銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、たっぷりとした乳房が胸を押してくる感触に酔いかけた。
と、脇差の柄頭を避けて躰をあずけていた貞妙尼が、
「お待ちになっとくれやすか」
身をはなした。
「先刻、頼まれた家でお経をあげてきましたよって、白絹の大衣(おおね)のままどす。白やさかい、汚れがついたらわやどす」
大衣をもどかしげに脱ぎ、風炉(ふろ)を仕切った茶室の隣部屋で、箔押しで外側を飾った三衣筥(さんねばこ)の一番上に、きちんと畳んで納めた。
(三衣筥 『仏教大辞典』 富山房)
身にまとっているのは中価衣(なかげね)というのであろうか、白襦袢 じゅばん)と緋の湯文字だけになった。
「おんなは、そのときになっても、べべのことが気にりなりましてなあ。おかしおすやろ」
目も顔もくずしながら、あらためて、もたれかかる。
「ほんまは、緋は着てはなりまへんのどすえ。緋衣(ひえ)は高僧はんだけのもんで、朱や紅なら許されてますねんけど---でも、湯文字は見えへんよって---」
そのあいだに銕三郎は、正気にもどりかけていたので、両手で貞妙尼の肩を押しもどし、
「仏にお仕えの庵主(あんじゅ)どのを抱くことは、拙にはできませぬ」
「このままでは、うちが寒(さむ)おす。ふとんにはいって話しまひょ」
貞妙尼は、さっき僧衣を納めた部屋に、ふとんをのべはじめた。
あわててその手をとめた銕三郎が、
「庵主どのに破戒を冒(おか)さすわけには参りませぬ。さきほどの拙の振るまい、お詫びいたします」
それをやさしく払った貞妙尼は、
「火ィつけたんは、お貞(てい)のほうからどす。消しはるのは、銕(てつ)はんのほう」
受戒(じゅかい)前の名がお貞らしい。
「困った---」
「銕さんと戒(かい)を破るんやったら、あとはどうなったかて、かめしまへん。身ィの肉が腐って、こころが痛がゆうなって---ふるえがくるほどに昂(たかぶ)りますやろ」
銕三郎の袴の結びをぱっとほどき、下へ引きおろしたとき、脇差が尼の腕に落ちた。
「痛ッ!」
「お怪我は?」
かがみこんだ銕三郎に飛びついた貞妙尼は形相は鬼女---そのままふとんに押し倒して、上から口を吸う。
銕三郎も、あきらめて舌をからませた。
ことが終わり、天井をみあげながら互いのものに手でふれあっていて、
「こうなること、〔左阿弥(さあみ)〕の元締から、お布施のこと、持ちこまれたときから、わかってましたんえ」
「なぜに?」
「慾のない人が好きどすねん。逝った夫も慾のないお人どした」
「拙は、慾がないのと違います。〔化粧(けわい)読みうり〕の板元の名代(みょうだい)料としてお払いしているのです」
「あないに、ぎょうさんどすか?」
「ぎょうさんかどうかは、考え方のちがいだけのことです」
「お武家はんでないと好きになれしまへん。父も亡夫も処士どしたが、武家の志は捨ててはおりまへなんだ」
「拙はたしかに、お目見(めみえ)をすませた幕臣ですが、部屋住みの身分です」
「せやけど、いずれは出仕しはります」
「それはそうです」
「自分から誘いはるお人は好きになれへんのどす」
「そういえば---」
「なんどす?」
「いえ---」
「お貞から誘ったんや」
「仏に申しわけない」
貞妙尼の指がうごく。
「どないもおへん。あの人、かえって喜んでますやろ。ええ人に抱かれて満足やったやろいうて---」
「しかし、拙には、妻子がおる---」
「いうて、よろしか? おこりまへんか?」
「なにを---?」
「〔千歳(せんざい)のお豊(とよ 25歳)はんとのこと」
「どうして、それを?」
「壁には耳がおます、襖(ふすま)には目がついてます。ふっ、ふふ。〔左阿弥〕の元締はんどす。銕はんが悪いおなごにつかまってはるって---」
「悪いおなご?」
「知りはらへんのどすか、あの女(ひと)は、怖ぁーいのんのお妾どすえ」
「怖いのん?」
「大盗人(おおねずみ)とか---」
「まさか?」
そういったものの、あれだけのいい場所に店を構えるからには、それ相応の金主がいるとは、銕三郎もおもってはいた。
【参照】2009年7月27日~[千歳(せんざい)のお豊] (8) (9) (10) (11)
土地(ところ)を仕切っている〔左阿弥〕の元締がいうことだから、まず、まちがいはあるまい。
(いずれ、発覚(バレ)たら、騒動だな)
覚悟はしていたものの、
(〔円造(えんぞう 60すぎ)元締は、なぜ、そのことを、貞妙尼にいわせようとしたのか?)
(そうか。〔化粧(けわい)読みうり〕の名代人に、貞妙尼を推したときからの道筋だったのか)
銕三郎は、貞妙尼に腕をまわし、上から耳元にささやく。
「地獄へ、いっしょに落ちよう」
「いえ。極楽へ、どすやろ。うれしゅおす」
襦袢も湯文字も、すでに脇へほうり投げてある。
銕三郎も裸になっていた。
貞妙尼は束ねていた布もとっているので、長い髪が枕の先にまでひろがり、生きもののように波うちはじめた。
【参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) (10)
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (4) (5) (6) (7)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
ああ、ついに貞妙尼は2年ぶりに愛を遂げました。
2年間、夜な夜な仏の名を唱えながら空閨をすごしてきたのですもの、銕三郎といういいセックス・パートナーを得て、安心立命しなけれ---というのは、凡女の得度観かも。
投稿: tsuuko | 2009.10.14 05:48
>tsuuko さん
銕三郎がモテすぎるので、ちゅうすけは幾分妬けて、いささか、「勝手にせい!」の心境です。
久栄さんも、心中、穏やかではないでしょうが、自分で、銕三郎のような男を夫に選んだのだから、少々モテても、我慢するしかないのでしょう。
貞妙尼は、仏門の女性(にょしょう)です。仏道では、比丘尼は比丘(男僧)よりも戒律が多いのを、あえて破ったわけですから、自分の意思は通せても、このあとのトラブルは避けて通れません。
妻帯している僧が多い現代なら、女犯というのはそれほど思い罪ではないでしょうが、江戸期は、表向き、厳格みたいなふりをしていましたからね。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.14 07:10