貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(5)
「やっぱり、そないにならはりましたんか。いや、けっこうどす、ちょっぴり、うらやましゅうはおますけど---」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、貞妙尼(じょみょうに 25歳)とできてしまったことを告げると、〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60すぎ)元締は、楽しそうな笑い顔になり、かたわらの2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)に、
「角(かく)も、ええ話や、おもうやろ。25後家が男断ちでいはったら、躰のためにようない---」
自分で大きくうなずいた。
【参照】2009年10月12日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))]
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[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)] (1) (2) (3) (4) (6) (7) (8) (9) (10)
還俗の段になったとき、角兵衛が口をはさんだ。
〔縁起(えんぎ)読みうり〕を案じていたのだという。
貞妙尼に、月々の仏道の縁起を書いてもらい、それを 引き札として配布するつもりであったというのである。
お披露目(ひろめ)枠(広告枠)の買い手も小あたりして、すでに10店舗ほど予約をうけているらしい。
絵師・冬斎(とうさい 41歳)も大乗り気で、貞妙尼の似顔を描いているとも。
「これは、まったくの引き札やよって、祇園はんの境内の、うちが支配してる仮店だけで配りますさかい、〔化粧((けわい)読みうり〕とは競いまへん」
つまり、角兵衛が板元(はんもと)とお披露目枠の扱いも取り仕切るということである。
「もちろん、誠心院(じょうしんいん)はんには、1板につき2両(32万円)ずつ、寄進させてもらお、おもうてます」
「貞妙尼どのが還俗してもよろしいのですか?」
元締がのりだしてきた。
「そこどすねん。還俗の話をきく前の案どすよってな。どないでしゃろ、祇園はんのわきに、小じんまりした、無宗派の庵室を一つ結んで、貞妙尼はんには、そこで読経してもらういうのんは? 姿かたちだけの比丘尼はんでよろしのや」
たしかに、祇園社の境内であれば、〔左阿弥〕の目が光っているから、貞妙尼に危害はおよぶまい。
しかし、大衆が簡単にだまされるだろうか。
数ヶ月はだませたとしても、京都中のお寺は真相を檀家も者たちにささやくと、たちまち、偽装がばれよう。
そうなると、〔化粧((けわい)読みうり〕にまで影響がおよぶ。
表向きは貞妙尼が板元(はんもと)ということになっているから、讒言はそっちにもおよぶだろう。
とりわけ、銕三郎が破戒の主とわかれば---。
そのことをいうと、角兵衛も考えこんでしまった。
やはり、貞妙尼が誠心院にいてこそ、なりたつ案であろう。
代案として、元締が取り仕切っている縁で、祇園社か知恩院の住持の説文にしては、と提案してみた。
「あきまへん。少々の名義借り料で承知なさるようにお方や、おへん。それに、尼僧はんの説文やからありがたいのんどす。僧の説文を、婆さんやったらともかく、若いむすめたちが読むはずがおへん」
ありがたい尼寺---たとえば御寺(おてら)御所と呼ばれている烏丸上立売の大聖寺のご庵主(あんじゅ)さんとか---。
「伝手(つで)が---」
しぶる角兵衛に、禁裏付から公家方の武家伝奏(てんそう)を打診してみるテなら---といった銕三郎に、元締が、
「公家はんたちへの口きき料いうたら、世間相場の10層倍ではききまへん」
けっきょく、銕三郎が身を引いて貞妙尼は口をとざしていまのまま庵主をつづけるか、〔縁起読みうり〕の案を延期するかだが、貞妙尼は還俗をあきらめないだろうということに落ち着いた。
「長谷川の若ぼんも、罪つくりなお人どすなあ」
元締がしみじもといい、談義を3人で笑ってすませた。
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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