貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(3)
おんな化粧(けわい)指南師・お勝(かつ 32歳)との連絡(つなぎ)をつけた若党・松造(まつぞう 22歳)が、六ッ半(午後7時)までには、押小路裏の家に帰っているとの返事をもってきた。
「出かけてくる」
夕餉(ゆうげ)のあと、そういった銕三郎(てつさぶろう 28歳)に、久栄(ひさえ 21歳)が、不満を押し殺して見送った。
「ずいぶんと、お忙しいご様子でございますこと」
武家の夕餉は、七ッ半(午後5時)には箸をとる。
六ッ半には1刻(2時間)ほどあった。
この時分は日没がおそくなってきており、六ッ(午後6時)でもまだ夕闇がこない。
(---というのは、現今のいい方で、江戸時代は日の出が明け六ッ、日の入りが暮れ六ッ。月はもちろん陰暦である)。
足が自然に三条通りを東へ、右に折れて中筋通りに入る。
桝目につくられている京の道の名も、だいぶ覚えた。
誠心院(じょうしんいん)の門前でちょっと思案したが、おもいきって境内に踏み入れる。
本堂の灯は消えていた。
房(ぼう)の木鐸(もくたく)を打つと、誰何(すいか)する声がとがめた。
「長谷川です」
わざと、まわりに聞こえるように名乗った。
表口の戸があき、木綿の普段着の直綴(じきとつ)をあわててはおったらしい貞妙尼(じょみょうに 25歳)が立っていた。
洗い髪を広げ、そのまま背中にたらしているのが艶っぽい。
「おあがりになりますか?」
「ここで、帰ります。あの話がどうなったか、伺うために参上いたしましただけです」
誰の耳にはいってもいいように庵主(あんじゅ)に対している態(てい)で、丁寧に問いかけた。
ことばづかいとは裏腹に、笑みをたたえた眸(め)が、お貞(てい)のくつろいだ姿態をなめまわしている。
後ろからの灯で、ころもが透けて裸躰の見えるように錯覚した。
その視線にこたえた貞妙尼が、腰をくねらせ、
「はい。おすすめのように、決めました」
「それは、よろしゅうございました。では、失礼いたします」
銕三郎が、ばか丁寧にあいさつのあと、口をひそめて、貞妙尼にだけ聞こえるように、
「一目、会ういたかった」
「うちかて----」
訪問者が門前の小さな中川に架かる橋をわたりおえるところまで見とどけた庵主は、深いため息をもらして戸をしめた。
誠心院を出た銕三郎は、押小路の一筋南の御池通りで見かけた呑み屋へ入り、
「六ッ半の鐘を聞いたら教えてほしい」
冷や酒と、あぶった小魚を注文した。
(還俗(げんぞく)したお貞が〔化粧(けわい)読みうり〕を仕切るとなると、〔左阿弥(さあね)〕の家から離れすぎるのも考えものだ。
といって、千本の役宅から遠すぎても不便だ。
押小路の借家は、お勝にゆずってしまったし---)
【参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4)(5) (6) (7)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
お勝さんが母性に目覚めたのかしら。
乃舞のかわいがりようが、立役らしくなってきましたね。
投稿: kayo | 2009.10.21 09:21
>kayo さん
お久しぶりです。
お竜もお勝も、未完の[誘拐]での〔荒神(こうじん)〕のお夏の出方を暗示するためのスケッチなんです。
もっとも、大円団がいつくるのかは、ちゅうすけにもわかっていません。
とにかく、銕三郎はまだ28歳。歿する50歳まで---というより、火盗改メの任についた43歳までだって15年もあります。
このブログに登場した5年前が14歳でした。5年間で久栄以外の女性を8人ほど経験しました。まあ、このあたりまでが、限界でしようか。そろそろ、乳ばなれ(?)しないと---。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.22 04:18