貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)
「波羅夷(はらい)の汚名をきせらる前に、還俗(:げんぞく)してしまう考え方はないかな?」
【参照】波羅夷罪
布団から裸形のまま這いでて、膳にのっていた飯茶碗の冷酒でしめらせた口で問いかけた。
おんなは、空を浮遊しているような余韻にふけっていた。
雨戸があけてあり、午後の西陽が障子ごしに貞妙尼(じょみょうに 25歳)の透きとおるほどに白い裸体を浮き上がらせている。
先(せん)にここで会ってから10日がすぎたので、街中の花はすっかり散り、みずみずしい若葉が一斉にふくらみはじめている季節になっている。
二条油小路上ルの鞘師・三右衛門の店の裏の2軒長屋---貞妙尼の実家である。
母親(47歳)は、きょうも親類へ泊りがけででかけ、顔をあわせるのを避けた。
役宅でも江戸の家でも裸のままということは、武士の子としては、許されない。
いつ、不時の事件で人前に出ることになるやもしれないからである。
もっとも、布団の中で久栄(ひさえ 21歳)を抱くときは別であった。
「うちが波羅夷の犯戒の罰をうけるのんを、こころ待ちにしてはる比丘(びく 男僧)衆がぎょうさんいてはる---」
「みんな、貞尼(ていあま)にさそいをかけた僧たちだな」
「じょみょうに」ではいかにも睦言らしくないと、布団の中では、そう呼びかけることにしたのである。
そのくだけた呼び名を耳元でささゆかれると、貞妙尼は昂(たかぶ)りがますようであった。
「破犯裁きで、その僧たちの名をバラしてやればいい」
「証拠のないいいがりをいうてると、反対に破戒の罪状がかさみますやろ」
「言いよりの文はのこしていないのか?」
「そんな、あとにのこるようなことはしィはらしまへん」
「やはり、その前に還俗することだな」
「せやけど、まだ、バレてぇしまへんえ」
破戒裁きの波羅夷のことは、寝床にはいる前に、貞妙尼が話した。
「比丘尼が懲罰をうける破戒は、男の比丘の4行為に、さらに4行為がくわえられていると。
くわえられているのは、
一、 摩触戒(ましょくかい) 好きこごろを示している男の腋(わき)から下に触れること。
一、 八事成重戒(はちじじょうじゅうかい) 尼のほうが好きごころを抱いており、むこうも憎からずおもっている男の手をにぎったり、着ているものをどうこうしたり、隠れた場所でともに坐り、、話しあい、いっしょに歩いたり、寄り添ったりすること。
一、 覆蔵(ふぞう) 比丘の破戒所業を秘していわないこと。
一、 随挙(ずいきょ) 破戒所業をした比丘に殉ずること
【参照】真言宗泉湧寺派の戒の構成
銕三郎は、噴きだしてしまい、しばらくとまらなかった。
「このあいだ、貞尼が難じた意味が、ようわかった---」
貞妙尼をなぐさめてから、蘭学をかじっている人(平賀源内)から聞いたことだが、向こうのキリシタンの坊主たちにもきびしい戒があるようだが、それが不自然だといって、妻帯する坊主の派を新教徒と呼んでいるらしい。
長崎にきているオランダ国もその宗派だから、公儀がゆるしているだそうだ。
もっとも、新教徒の尼僧が夫をもっているかどうかは聞きもらした。
「貞尼も、真言新宗を唱えるといいかもな。おんなを罪が深い生きものとみるなといってな」
「そんなんしたら、お寺さんの多いこの京では、生きてはいけまへん。それより、秘して、こうして聖欲を愉しんでいるほうが、賢おすよって---」
銕三郎が還俗を問うたのは、ゆっくりと刻(とき)をかけた房事が終わってからであった。
【参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4)(5) (6) (7)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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